夏至祭(後)





 少女たちの目を引いたのは、立ち並ぶ屋台のひとつ。そこにはごく幼い子供からそれなりに年を重ねた大人まで、さまざまな年齢の――主に女性がたむろしていた。
 追いついて肩越しに屋台の商品を見やって、キールはなるほどと嘆息した。
 ガラス製のさまざまな玉を、ブレスレットやペンダントにあしらったアクセサリーが売られていたのである。色鮮やかな模様が刻まれた、いわゆる『トンボ玉』というやつだ。
 中の、皮紐に玉をひとつ通した形のものばかりを固めて置いてあるあたりに二人の視線はくぎ付けになっていて離れない。
「……あ、キール」
 ふわりと近くに寄ってきた温もりの主を見上げて、メルディは何か言いたそうにもじもじと両手の指をこすり合わせた。
「……欲しいのか?」
「ふぇ? ……あ、はいな」
 いつもならそれほどの躊躇いもなくおねだりしてくる彼女が、今日はまたずいぶん消極的だ。キールは内心で首を傾げたが、その疑問を口にする前に屋台の主が愛想よく彼に話しかけてきた。
「彼女が欲しいって言ってるんだ、買ってやったらどうだ? ひとつ五十だ、安いもんだと思うがな」
「彼女じゃな……っ! い、って、五十? ずいぶん安くないか? 本物か、これ?」
 キールは訝しげに主に尋ねた。台詞の前半で思いっきり頭に血が昇ったものの、直後に聞いたあまりに意外な数字に都合良く元に戻る。
 この類のものは、えてして高価なものだ。そもそもが工芸品として然るべき場所で取引きされるために、祭の屋台で気軽に買えるようなものではないはずなのに。
 五十とは、子供の小遣いでも買えないことはない値段ではないか。
 どうにも納得のいっていない彼の表情に、もっともだと思ったのだろう、屋台の主は笑って手をひらひら振りながら説明してくれた。
「これは若い連中が練習がてら作ったもんだよ。名が売れてないからいい値はつかない。他にも火の調子を見るためしに作ったやつとかな。そういうのをとっといて、こういうときに安く売りさばくんだ。……それでも、いくら未熟だとはいえ好きでやってる連中が作ったもんだからな、なかなかのもんだろう?」
「なるほどね〜」
 隣にいたファラがうんうんと首を縦に振る。
「……と、いう訳で。リッド買って♪」
「はっ?」
 背後に来ていた彼にいつの間に気づいていたやら、ファラは迷わず振り返って頭一つ分上にある幼馴染の顔を見上げた。リッドは何か言おうとして口をパクパクさせたが、結局何も言えずに頭を掻いてうなずいた。
 別に、たいしたものではない。渋るのも野暮というものだろう。
「おう、いいぜ」
 もう一度軽くうなずいた彼に微笑を返してファラが品物に向き直る。そんな彼女をうらやましそうに眺めてから、メルディは自分もおずおずと傍らの青年を上目遣いにみつめた。
「……きーるぅ〜……」
「ああもうそんな顔するなよ!」
 ただでさえメルディの訴えかけるような視線に弱いキールが、祭のためにめかしこんでいつにも増して愛らしい彼女に太刀打ちできるはずがない。たちまちのうちに真っ赤に染まってしまった頬を隠そうと思ってもいい方法は浮かばず、彼は開き直って乱暴に淡紫の頭をなでた。
「欲しいってんなら、買ってやるから。……早く選べ」
「……うんっ! ありがと、ありがとなキール!」
 ぱっと花が開いたような笑みを見せてメルディがファラの隣に並ぶ。楽しげに笑いながら商品を手に取り始めた少女二人に、ここぞとばかりに店の主が説明を加える。
 キールは一息つくと、すでに屋台とは少しばかり離れた木陰に移動していたリッドのほうへと歩を進めた。無言で顔を見合わせて、照れとも苦笑ともつかない表情を交わす。
 いつもならメルディ絡みのことでキールをからかってくる幼なじみの青年も、今回ばかりは同じ穴のムジナ。
 互いの間に流れるのはただただ穏やかな空気だ。
 ざわざわと、喧しいけれど心地よい祭りの喧騒を目を閉じて木に背を預け感じていたキールは、ふと肩をとんとんとたたく指に気づいてその手の主に視線を向けた。
「……なんだ?」
「んあ〜、あれ」
「ん?」
 肩をたたいていた手が指差した方向へ素直に目をやって、彼はかすかに眉をひそめた。
 見れば、一人の背の高い人影がファラとメルディに何やら熱心に話し掛けている。後姿だけではその容姿まではよくわからないが、背格好から見て若い男性であろうことは一目で察することができた。
 メルディはぽかんと彼を見上げ、ファラは困ったような愛想笑いを浮かべてしきりにこちらに手を振っている。男はそれに気づいた様子はないが、助けろという意思表示だろうか。
「……一応、行ったほうがいいのか?」
「……だろうな」
 二人は一見やる気のなさそうな態度で、けれど早足で屋台のほうへ向かった。


「ブレスレットが、お好きなのですか?」
 その男性が話しかけてきたのは、メルディと二人でこの色がいい、あの色もいいなどとはしゃいでいる最中のことだった。
 本人たちに自覚はないが、ファラとメルディの容姿は若い男性から見ればかなり魅力的に映る。いつもなら『虫除け』になってくれるリッドとキールは、彼女たちが何を買うか選ぶには時間がかかるだろうと多少その場から離れたところにいたから、二人だけで来ているものだと思われたらしい。
「女性はやはり美しいものに惹かれるのですね……私の目には、このようなガラス玉よりもあなたがたお二人のほうが輝いて見えるのですが」
 耳慣れない口説き文句を並べ立てる男性に、ファラは愛想笑いを浮かべつつも内心では冷や汗をたらしてしきりに離れたところにいる幼なじみ二人に合図を送った。隣ではメルディがぽかんと口を開けて黙っている。お世辞や美辞麗句とは縁遠いキールに慣れているためか、そもそも台詞の意味さえよく把握しきれていないのだろう。
 乱暴な態度で迫ってくるのならば得意の格闘術で蹴散らしてそれで終わり、なのに、あくまで丁寧な態度を崩さない、けれど有無をいわせぬ勢いで口説きにかかってくるこの男にはどう対処すればいいのかわからない。
「……失礼、申し遅れました。私は実は子爵家の嫡子。本来ならこのような場所に来るべき立場ではないのですが……」
「シシャク?」
 ぽかんとしたままだったメルディが口を開いた。意味の知らない言葉をつい聞き返してしまっただけだったのだが、初めて返ってきた反応をどう勘違いしたものか彼はにっこり微笑んで彼女の手を取った。メルディがわずかに顔をしかめる。
「ええ、子爵です。この祭は然るべき家の子女もお忍びで来るほどの評判ですので話の種にと思いここまで足を伸ばした次第です。まさかこのように可憐な令嬢たちに出会えるとは想像もしておりませんでした。なんと幸運なことかとセイファートに対する感謝の気持ちで胸が張り裂けんばかりに高鳴って……」
「おい」
 よどみなく流れるように続いていた言葉が、ふと遮られた。
 弾かれたように振り返った彼が、背後の青年二人にやっと気づいて首を傾げる。
「何かご用ですか?」
 きょとんとした目で尋ね返され、リッドは苦笑して腰に手を当てた。
「……そいつら、俺らの連れ」
「は?」
「悪いが他をあたってくれないか」
 二人の青年の声色にかすかに含まれた苛立ちを敏感に感じ取り、彼はむっとしたように口をつぐみ――けれど、さりげなく剣の柄を鳴らしたリッドとポケットに手を突っ込んで何やら掴んでいるらしいキールを見比べてあきらめたように首を振った。
 もともと数で劣っている上に、いかにも腕に覚えがあるぞと言わんばかりの二人の態度。少々の面倒があったとしてもお釣りが来る程度には目の前の少女たちは魅力的だが――以前と違いここ最近はアレンデ王女の政策によって王侯貴族の特権は制限されつつある。もちろん貴族たちの猛反発によってそのペースは至極緩やかではあるものの、あの王女は各方面に着実に見方を増やしていっている。騒ぎを起こしてもし裁判沙汰にでもなった場合、以前ならともかく今では監査官も手心を加えてはくれないだろう。
 男性は未だ握っていたメルディの細い手を名残惜しそうに離すと、優雅な一礼をしてあっさりと立ち去った。

 後に残される形になった四人はしばらく黙ったまま彼を見送っていたが、その背中が人ごみにまぎれて見えなくなると同時に、ファラが肩の力を抜いて大きくため息をついた。
「……はあ〜あ、疲れたぁ」
 しみじみした声にリッドとキールの口からおもわず失笑が漏れる。
「無視すればよかったじゃねえか」
「だって! なんかすごい迫力があって怖かったんだもん。……でも態度は丁寧だったからさ、まさかぶっ飛ばしちゃうわけにもいかないでしょう? もうどうしたらいいかわかんなくて……ねえ、メルディ。……メルディ?」
 ファラはふと表情を曇らせて傍らの少女の顔をのぞきこんだ。いつもなら一番騒がしいはずの彼女が何も言葉を発しないのは明らかにおかしい。しゃがみこんで下から見上げるようにして何度も名前を呼ぶ。
「メールーディー? どしたの?」
「……あ?」
 何度目かに音を伸ばして呼んだとき、メルディはようやく反応して顔を上げ、大きくひとつ身震いをした。
「メルディ? どうかした?」
「あ、あ……なんでもないよ〜」
 ごまかすように笑顔を浮かべた彼女に、キールが近寄って眉をひそめた。
「おおかた寒くなってきたんだろう、鳥肌立ってるぞ。……だから薄着はするなと、あれほど……」
 言って華奢な肩を包み込むように手を置いた瞬間、メルディがちいさく声をあげる。
「あ」
「な、なんだ?」
 ぎょっとなってぱっと手を離すと、彼女は打って変わって明るい表情になってたった今離れていった彼の手を捕まえた。
「見て! 見て見てトリハダなおった!」
「あ、ほんとだ。ひいたね」
 ファラが心持ちかがんで指先でメルディの肩に触れた。
 ぶつぶつに粟立っていた肌は今は滑らかな曲線を取り戻している。訳がわからなくて目を白黒させているキールにメルディが嬉しそうに笑いかけた。
「さっきのひとの手な、さわられたときぞくぅって来たよ。……でも、キールが手はふわってした。ふわって」
「ああ、なるほど」
 訳知り顔でファラがうなずく。通じ合ったかのように顔を見合わせて微笑み合う彼女たちを首を傾げて眺めていると、リッドがちいさくささやいてきた。
「よかったじゃん」
「……何がだ?」
 不思議そのもの、といった顔で問い返すキールに空色の瞳が意地悪く細められる。
「つまりメルディはおまえにさわられても嫌じゃねえってコトで……だから、不自由は、ないよな♪」
「何がだッ!?」
 一瞬の沈黙の後、キールはリッドが何を言いたかったのかにようやく思い至って裏返った声で叫んだ。みるみるうちに身体の隅々まで血が行き渡ってゆくのが自分でもわかる。
 腹いせに、つかみかかって一発くらわせてやろうかなどと思いながらも攻めあぐねていた彼の背中めがけてファラの明るい声が飛んできた。
「おおーい、リッド、キール〜? 何にするか、決めたよ〜!」
「おう、今行く行く」
 お気楽な返事が返る。
 そうやって、気づかないうちにいつもうやむやにされてしまうのだ。





 喧騒がだいぶ遠くに聞こえるようになった森の中の小路。いつもなら真っ暗に違いないそこも、祭のために特別に用意された明かりでぼんやりと照らされて、視界に不自由はない。
 そこに満ちた静寂を、三人の――そう、三人分の足音が静かに乱していた。
「こうなるんじゃないかとは思ってたけどさ」
 ぶつぶつぼやきながらも、白い手が背中に預けられた細い身体を支えなおす。その様子に、リッドは自らもすでに眠りかけているファラの手を引いてやりながら軽く笑った。
「まあ、たまにはハメをはずすことも必要だろ?」
「それは否定しないが――しかし、だからといって往来で眠りこけるのはどうかと思う」
 はしゃぎすぎて疲れてしまったのか、メルディはすでにキールの背に揺られて夢の中である。眠くなると温もりにすがりたがる傾向があるのか、歩いている最中にいきなりにゅう、などといううめきとともに抱きついてきたときはどう対処していいものやらおおいに困った。
 ファラはファラでやはり意識が朦朧としているようで、目をこすりながらふらふらとした足取りで歩いている。ときおり翠緑の頭がかくっと舟をこぎ、リッドはそのたびに手を引く力をうまいぐあいに調節して彼女が倒れないようにしてやっているらしい。
 器用なことだと苦笑してキールは前に向き直った。
「ま、こういうのもいいもんだろ。……いろいろあったしな」
「……そうだな」
 今こうして当たり前のように穏やかな時を過ごせるのも、あのすさまじい時間を乗り越えたから。
 男二人はそれきり黙りこんだ。
 手のひらに、背中に伝わる温かさは、夏だというのになぜか暑くはなく心地よい。



 頭がぼんやりとして、けれどバランスを失うたびに強い力で引っぱられる。ふらふらと定まらない視界で、けれど先導する手のおかげで倒れてしまう不安はない。半ば機械的に足を動かしながらファラは薄く微笑んだ。
 引かれていないほうの手首には明るい青色のガラス玉を通したブレスレット。晴れ渡った青空。リッドの瞳と、同じ色。

 ゆらゆらと規則的な振動に揺られながらまぶたを動かすと、まず視界に入ってきたのは冬の夜空を思わせる濃く深い紺青だった。同じ色のブレスレットをした腕に、知らずきゅうっと力がこもる。
 メルディの一番好きな色。キールの髪と、瞳の色。先ほどの屋台でもまず真っ先に目が行ってしまったその色に、彼はこちらの気も知らずにおまえに濃い青はあまり似合わないなどと言ってくれたが押し切った。

 気づいてないのだ二人は。
 ふわふわとともすれば薄れて消えてしまいそうな意識の中、少女二人はこっそりと笑みの混じった視線を交わした。
 わからないならそれでいい。
 これは自分たちだけの秘密だ。



 静かだったり騒がしかったり。
 けれどたまらなく好きなこの空間はどこまでもつづいて。



 ほんの些細な出来事に、命を燃やして、生きていることを実感する。
 夏は、命の燃え立つ季節。
 続く秋には、どんな実りが訪れるのだろうか。







--END.




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あとがき。
夏至って、6月なんですよね…でもこの描写思いっきり真夏ですよね…
…まあいいか(笑)
でもね、でも頭の中にあったイメージはちゃんと「夏至祭」だったんですよ。
ムーミンの…何巻目だかは忘れたけれど、確かお祭り(というか宴会)のお話があって。
「ルビーの王様」がどうとかって話だったと…
そのお話を読んだときに頭に浮かんだ、夜なのに地上の明かりで空がうっすら光って見えて薄明るくて、茂って咲き誇るジャスミンのむせかえるような香りの中、虫の羽音もうるさくて。
なんとなくけだるい、だけど心地よいお祭りの夜…
気温はそれほど高くないのです。でも、湿気が高いせいでじっとしてても汗ばんじゃうかもしれない。
そーんなのをイメージしながら書いたんですが。
ってか、そのイメージだと6月って正しい気がするんですが。
でも夏…(もういい)
とにかくおめかしファラメルとナンパ男が書きたかったみたいです。
でも子爵家の若様?馬鹿っぽいですね。あわわわ(笑)