| 廃墟の夜明け(後) 
 
 
 建物がことごとく崩れ落ちた街は、やけに広く感じられる。
 ときおり瓦礫につまずきながらも、キールは街の奥へ向かって走っていた。
 吹きさらしのはずの空間に大きな建物が黒々と浮かび上がる。
 「……図書館は無事だったのか……」
 つぶやいて彼は立ち止まった。汗ばんだ首筋を冷たい風がなでて通り過ぎてゆく。ぶるりと身を震わせてから、キールはおもわず我が目を疑った。
 
 ……メルディ!
 
 一目で危険だとわかる獣が何匹も、彼女の周りで身構えている。頭部を低く、後ろ足に力をこめたその姿勢はまさに今跳びかからんとする瞬間のもので。
 なのに彼女は身じろぎ一つしない。
 
 頭が、真っ白になった。
 すでに耳慣れたメルニクス語をよどみなく紡ぐ声は、まるで自分のものではないかのように現実感がなかったが、それでも呪は完成し、巻き起こったつむじ風は難なく獣たちをなぎ倒す。
 止めを刺したかどうかの確認もせず、キールはすばやくメルディに駆け寄った。
 「メルディ!」
 名を呼んで肩をつかむ。けれどその感触は頼りなく、見上げる視線にも力がない。彼を彼と認識しているかどうかも怪しい。とりあえず軽い身体を無理やりに引きずって、建物の風下側にまわった。
 キールは改めてメルディを見下ろした。ずいぶん乱暴に扱ってしまったはずだというのに、反応が見られない。ぼんやりと焦点の定まらない瞳のままで、ただ壊れたポンプのように、そこからとめどなく涙があふれだしている。
 「おいってば!」
 しばらく肩を揺さぶっていると、彼女はようやく顔を動かした。
 「きー……る……?」
 「おい、大丈夫か? 怪我はないか? なんだってこんなとこに来たんだよ!」
 今までの経験からしがみついてくるとばかり思っていた少女はしかし、身をよじって彼の手から逃れようとした。
 「お、おい」
 「離して! 離して、お願いキール!」
 頭を激しく振りながらひたすら暴れる。
 キールはわけがわからないながらも、彼女を引き寄せて力いっぱい抱きすくめた。
 メルディの喉から、ひゅう、と笛の音のような音が漏れる。
 「……はなして……」
 「離さない」
 弱々しい哀願をきっぱりした口調ではねつけて、彼は腕にますます力をこめた。
 「……泣いてちゃわからないだろ。泣いてないで、どうしてこんなことしたのか、理由を言え」
 低く、ささやく。すすり泣きの中にわずかに聞き取れる単語が混じっているのに気づいて、キールは用心深くメルディの口許に耳を近づけた。
 全身の震えが伝わってくる。
 「きー……る、もうインフェリア帰れない」
 メルディはあえぎながらしゃくりあげた。
 「うーん」
 つい緊張感のない声で応じると、彼女は悲鳴のようにかすれた叫び声をあげた。
 「キール、インフェリアかえれない! メルディがこと支えてたせいでかえれなくなった! 故郷帰れないは、かなしいよ……なのにメルディ、さいしょよろこんだ!」
 「メルディ?」
 「……メルディ、よろこんでしまったよ……家族会えないは悲しいこと、メルディよく知ってる。なのに……なのに! メルディキールといたかったから……だからよろこんだ。メルディ、自分のことしか考えてなかった……じぶんのことしかぁっ……! ふっ……うぇ……」
 悲痛な叫びが耳朶を打つ。泣きじゃくるメルディがたまらなく愛しくなって、キールは彼女の背中を優しくさすって、ささやいた。
 「……馬鹿か、おまえ」
 言ってしまってからおっと、と思う。案の定メルディはますます激しく泣き出した。
 どうしてぼくは優しい言葉をかけるのが苦手なんだろうなあ、とキールは一瞬遠くを見つめてしまった。
 「そうだよメルディはばかだよぅ!」
 「ああー、そうじゃなくて」
 抱きしめていた腕を解いて、濡れた両頬を手のひらで包み込み、キールは彼女の大きな瞳を覗きこんだ。触れ合いそうなほど顔が近づいて、メルディの頬が熱を帯びるのがわかったが、彼は不思議と冷静でいられた。
 「あのなあ、ぼくがここにいるのはぼくの意思だぞ?」
 「……イシ?」
 繰り返すメルディにうなずく。
 うなずいてから、急に恥ずかしくなってしまった内心を自覚したが、必死の思いで目をそらさずに続ける。
 この言葉だけは、冗談でもいい加減な気持ちでもなく、本心から出たものだと伝わるように。
 「一緒に生きるって言ったよな? 一応言っとくけど、あれ一生有効のつもりで言ったんだからな」
 「でも」
 「それに。自分のことしか考えてなかったって、それを言うならお互い様だ。ぼくだって、自分の気持ちしか見えてなかった」
 友達にも親にも、散々心配かけといて、さ。
 「おまえさえいればいいって、……勝手だよな。……だから、起きたときおまえがいて、じゃあ後はどうでもいいやって思ったんだ。本当だ」
 メルディは何か言いかけたが、結局首を振ってキールの胸に顔をうずめた。じわりと胸元が冷たくなる。涙が止まる気配はない。彼は華奢な身体を抱きしめると、髪が汚れるのも気にせずにその場にごろりと寝転がった。
 片手をあげて、空を指差す。
 「……インフェリアだ」
 「っ!?」
 メルディががばっと身を起こして空を振り仰ぐ。
 いつのまにか雲が晴れていた。セレスティアではめずらしい満天の星空が広がる。
 大半の星は光の点にしか見えなかったけれど、中にとりわけ大きな青い天体が浮かんでいた。
 「……なんで?」
 声が震えるのが自分でもわかる。穏やかに微笑むキールを見下ろしてから、もう一度空を見あげる。
 「……メルニクス時代の遺物に、天球儀ってのがある。インフェリアとセレスティアがそれぞれまん丸な球体で、お互いを支えに空をまわるんだ。もしかして二千年前の戦争で、世界の構造が変わったのかもしれないな。……で、またグランドフォールでメルニクス時代と同じに戻った、そんなとこだろう」
 メルニクス時代は、ふたつの世界の間に交流があった。
 「……でも」
 なおも不安げに目を伏せるメルディに、キールは不敵に微笑んで、器用に片目だけ瞑ってみせた。
 「大昔の人間にできてたことが、ぼくらにできないわけないだろ」
 
 ……そうだ。
 わけのわからない機械だって、キールはいつも最後には動かすことができた。
 自然笑いがこみあげてくる。
 そうだ。
 キールならやるだろう。
 
 なんだかずいぶん気が楽になって、くすくすと笑いながら視線を落とすと、至近距離に青紫の瞳があった。存外優しい光にどきりとして身を起こそうとする。しかし、離れる前に腕の中にすっぽり包まれてしまった。
 「ふぁっ! キール、ちょっ……」
 じたばたもがいたが、解放してくれない。
 「キールぅ……」
 「空見てろ」
 いつもなら照れて赤くなるのは彼のほうなのに、なんだか今夜は勝手が違う。どきどきしながらおとなしく待っていると、やがて空が白んできた。
 ふわりとあたりの空気の色が変わる。光が徐々に伸びてきて、世界を染め変える。雪のようにふわふわと舞う何かに反射して、金色と赤と白と紫と、数え切れないほど無数の色彩が絶え間なく行き交う、夢のように美しい光景。
 「……幸福の、雪……」
 呆然とつぶやいたメルディに、キールは満足げに笑った。
 「雲が少なかったから、きっと見られると思ったんだ。当たったな」
 「キール!!」
 「うわ!?」
 たまらず抱きついた途端、彼の声が裏返った。
 人のことを思いっきり抱きしめておいて、今更照れるなんて。
 でも、そう、これがいつもの構図だ。これでこそ。
 キールの胸に頬をこすりつけながら、メルディはくぐもった笑い声をあげた。
 
 
 朝日が雪のようになるのは一瞬のこと。すぐに空は掻き曇り始めて金色の光はどこかへ行ってしまっている。
 そうこうしていたら、いくつかの足音とともに、あきれたような声が降ってきた。
 「なんだ、ここにいたんですかい? ……邪魔だったかな」
 「サ、サグラ!? ボンズも!」
 キールはメルディの身体を無理やり引き剥がして起きあがった。
 やけにすっきりした表情のサグラと、興味津々といった感じでこちらをのぞきこんでくるボンズ。
 どうやら結構な人数で探されていたらしく、彼らの後ろにも昨夜見た覚えのある顔がいくつか連なっていた。
 「だから言ったじゃない〜。大丈夫だって」
 ボンズがけたけたと笑う。
 「いやまあそうだが。さすがにモンスターの死体見たら慌てる……」
 「ねーねー、何してたのお?」
 ぶつぶつぼやくサグラを遮って、ボンズがにこにこと二人のそばにしゃがみこんだ。
 「いや別に何も……」
 「幸福の雪見たよ」
 キールはぱっとメルディの口を塞いだが、その声はしっかりその場の人間全員に届いていた。
 「幸福の雪? すごいねえ! ねえねえ、それって、こいびとと一緒に見ると幸せになれるんでしょ?」
 「うーん、すごいよぉー。メルディ嬉しい♪」
 なかなか恥ずかしい会話をしてくれるものである。
 無邪気に歓声をあげる二人をよそに、キールを含むほかの者たちは無言で顔を赤らめた。
 「っだああ! もういいだろ行くぞ! サグラ! 今日からぼくも手伝う! 指示をくれ!」
 「あっ、ああ」
 「あ、ちょっとキール! 待つよー!」
 ものすごい勢いで走り去ったキールを追いかけようとして腰を浮かせかけたメルディは、ボンズに服を引っぱられて振り向いた。
 「メルディ元気になったねえ」
 心底嬉しそうに言われて、思わず問い返す。
 「……しんぱい、してたか?」
 「してたよお。あたりまえじゃない」
 
 ああ、そうか。
 彼女は少年の頭をなでながらにっこりした。
 暖かい気持ちは、そこらじゅうに転がっているのだ。
 探せば、それこそいくらでも。
 
 
 ひとりぼっちだと、泣いたことがあった。
 自分のことしか見えていなかったと、情けない思いをした。
 
 けれど、心は。
 
 「……ありがとな」
 メルディはボンズの手をひいて、サグラの後を追いかけていった。
 
 
 
 
 
 
 心や、気持ち。
 その在り処は自分の中だけではなくて。
 つながって、そしてどこまでも続いていくものなのだと――――……
 
 
 
 
 
 
 
 --END
 
 
 
 
 
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 あとがき。実はネタ自体はかーなり前からあったものです。
 ただ、いろんな方がすでにED直後をテーマに書かれていたので、
 今更書いてもなあ…と思ってたんですな。でも結局書いちゃった。
 ま、同じネタでも捉えどころは人それぞれということでv(超言い訳)
 普段何も考えずに暮らしてますが、ふとした拍子に自分の欠点を再確認して自分で嫌になることってありますよね。
 いや、そんなことない人もいるだろうけど(笑)
 私の場合それは「自己中」でして。ちょっとこれ書くのに参考にしてみましたのこと。
 まあ、メルディはねえ…自己中とは程遠い性格してますが。
 彼女のことだけ考えて行動してくれる人間が必要だよなあ…と思ったり。
 その点キールは適任っぽいんでOKですねv
 ってかやっぱりキール捏造気味になったな…
 ところで、インフェリアとセレスティアが二連星だろうと思ったのは攻略本発売される前のことで、ずっとそう思いこんでたんですが、
 ……二連星でいいんだよねぇ?
 二連星で、なおかつ太陽の周りをまわってるんですよね?
 なんか結構細かい設定があったもんで、わけわかんなくなっちゃった。
 細かい設定があるのは話考えやすくていいんだけど、そのぶんつじつまあわせにひーひー言ってます。
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