求める未来(後)





 風が吹くたびに起こる花吹雪の下を懸命に走りながら、メルディは熱くなってきた目許を袖口でこすった。けれど、予想に反して、そこに涙はなかった。
 もやもやの正体はわかった。でも、ちっとも嬉しくない。
 妹?
 妹にしかなれない?
 欲しいのは愛情。それは間違っていない。家族のようになれたらと思っていた。
 でも。
 妹だと言われるくらいなら、赤の他人だといわれた方がましだ。
 他人なら可能性が残る。でも妹にはその可能性すらないではないか。
 欲しいものが手に入る、その可能性すら。
 宿の前まで坂を一気に駆け下りてきて、メルディは念のため窓に顔を映してみた。涙でも流していようものなら、ファラは何をおいてもキールに事情を問いただそうとするだろう。今抱えている気持ちは、誰にも知られたくなかった。誰にも。
 いつも周りがつられて笑ってしまうほどお気楽な微笑みを浮かべているはずの顔は、今は眉間にしわが寄って、険しい目つきで、とことん不機嫌そうに見える。でも、泣いてはいない。これなら多分、大丈夫。怒っているとは思われても、泣いているとは思われない。
 食堂に入ると、リッドはまだ食事中だった。一体どれだけ腹に入れれば気が済むのやら、と思ったが、ほほえましくて気分が和む。これなら、大丈夫かもしれない。
 扉の閉まった音にリッドは顔を上げた。まだ食べてるのか、と言おうとして彼の台詞にせっかく緩みかけていた顔が強ばる。
「……なんだ? キールと喧嘩でもしたか?」
「え? してナイよ」
「んならそんな膨れっ面してんなよな。ほっぺたまん丸で、ガキみてぇだぜ?」
 はは、と笑い声が聞こえる。

 ぶんべちゃ!

「……は……?」
 リッドは呆けて目の前の皿を見下ろした。皿の中では青い毛玉がもがいている。メルディが彼の顔にクィッキーを投げつけたのだ。
 好物を台無しにされて腹が立つよりも先に、異様なオーラを立ち昇らせるメルディから目が離せない。
「……メルディ?」
 彼女は肩をいからせてリッドの脇をすり抜け、どすどすとわざと大きな足音を立てながら階段を上っていった。
「おい……」
 あとを追いかけようとしたリッドの顔に、シチューまみれのクィッキーが飛びつく。
「クィッキー! クキュキュルクィッキー!」
 邪魔するなと言いたいらしいが、動揺しまくっているリッドにはわからない。
「だああー! 何しやがるクィッキー! 離れろ!」
 彼の悲鳴に、厨房を借りていたファラが手を拭き拭き出てきた。
「……何やってんの? リッド」







 宿に戻ると、何故かリッドはシチューまみれだった。
 捕まえようとする手を器用にすり抜けて、しつこくリッドの顔に突進を続け、シチューを塗りたくりつづけるクィッキーと、翻弄されているリッドとファラ。
 キールはその光景を見て、一瞬どころではなく永遠に他人のふりをしたくなってしまった。
 が、おそるおそる声をかける。
「……なにやってるんだ?」
「あ! てめ、キール!」
 リッドがすばやく立ち上がって顔を寄せてきた。シチューの匂いがする。キールはつい眉をしかめた。シチューは好きだが、リッドの顔からその匂いがするのはなんだか、嫌だ。
「……近寄るな」
「近寄るな、じゃねぇだろ! メルディに何したんだよ! わけわかんねえのにシチュー塗りたくられるオレの気持ちになってくれ!」
「なにか気に触ることでも言ったんじゃないのか」
「知るかよ!」
「ねえ、キール」
 ファラはぎゃあぎゃあわめきつづけるリッドの服をつかんで引き戻した。ぐえ、と息を詰める彼をそのまま脇に投げる。待ってましたとばかりにクィッキーが再度飛びつく。
「わたしはよく知らないんだけど、でもメルディあれから降りてこないの。様子だけでも見に行ってあげてくれないかなあ」
「……ああ。そうする」
 キールはうなずいて階段の方へ向かった。背後からは「あ、てめ! 逃げるな!」だの、「クィッキー、いい加減にしねえとシチューの具にすんぞ!」だのリッドのわめき声が聞こえてくるが、あえて無視する。重要なのは、メルディのほうだ。





 遠くから何か音が聞こえて、メルディは顔を上げた。コンコンと、扉を叩く音。ずいぶん前から続いていたのに、ぼーっとして気づかなかったらしい。
 リッドが謝りにでも来たのだろうか。それともファラが心配して様子を見に来たのだろうか。どちらにしても、開ける気はない。
「……メルディ、開ける気のないよ。……ほっといてな……」
「どうしたんだよ」
 なげやりに放った言葉に返ってきた声に息が止まる。
「キー……ル? おべんきょは?」
 声が震えるのを抑えることができない。一瞬の静寂のあと、ノックが激しくなった。
「おい? どうしたんだ、泣いてるのか? ……おい、開けろって!」
 心配と焦燥に彩られた声を聞いてしまったら、もう耐えられなかった。無性に顔が見たくなって、メルディは少しだけのつもりで細くドアを開けた。強い力でノブが引かれ、あっと思う間もなくキールが部屋の中に滑り込んできた。彼女の表情を見て、髪に手をのばす。メルディはびくりと震えた。彼は驚いたように一瞬手を止めたが、結局そのまま薄紫の髪を優しくなでた。
「……なんて顔してるんだよ」
 ため息のような声音に目を上げる。
「……そんな、に、ヒドイ顔してる?」
「してる」
 きっぱり断言される。青紫の瞳を直視することができなくなって、メルディはうつむいた。
「……べつに、なんでもないな」
「じゃあなんでそんな泣きそうな顔してるんだよ」
 キールは多少苛ついて彼女の髪を一房すくいあげた。
 散々一緒にいながら未だにうまい慰めの方法も知らない自分に腹が立つが、それ以上に何も言おうとしないメルディがもどかしい。
「泣いてなんか、ないよ!」
 手を振り払う。
 触れられるほどに、何故だか凶暴な気持ちがむくむくわいてくる。
「泣いてなんかない! ほっといて! ほっといてよ!」

 感情的にわめき散らす、などという彼女にしては珍しい行為に、彼は度肝を抜かれて黙り込んだ。
 駄目だ。つい責めるような言い方をしてしまった。
 こういうときは、ひたすら優しくが基本だというのに。
 今更間に合うかどうかはわからなかったが、キールは再びメルディの頭に手を添えた。
「……なあ? 悪かった、ぼくが悪かったから……」
 多分誰も悪くないのだろうが。
「いい子だから、機嫌直してくれよ……」
 メルディはひゅっ、と喉を鳴らした。投げかけられた言葉が頭に染み渡るまで、少し時間がかかった。
『いい子だから』
 大人が、子供をあやすときに使う決まり文句だ。
 大人が、……子供を。

 おまえは子供なのだ、と宣言されたような気がした。彼が自分に向ける感情は、大人が、子供に、向けるものだと、所詮、おまえは、子供なのだと――

 目の前が真っ赤に染まったような気がした。頭がくらくらする。
 どうして、今、そんな言い方するの。今じゃなくてもいいじゃない。なにも、今じゃなくても。
 普段なら気にもしない、むしろ心休まる言葉は、今は押さえていた感情の起爆剤にしかならなかった。

「? メル、ディっ!?」
 呼びかけようとしたキールの声が途中で途切れる。
 それもそのはず、彼の口はメルディの唇でふさがれたのだから。
 勢いよくぶつかってしまった唇から、血の味がする。めいっぱいに背伸びをして自らの唇を思いっきり彼のそれに押し付けてから、メルディは唐突に離れてキールの瞳を見上げた。
 びっくりしているのだろう、青紫の瞳は大きく見開かれている。そこに、頬を真っ赤に染めて泣き出しそうな顔の自分が映って揺れている。
 口許を押さえたまま何の反応も示さない彼に、メルディは今度こそ本気で泣き出した。
「なんで何も反応しないか! メルディはいもうとなのか!? メルディはコドモじゃない、コドモじゃないよ!」
 恥ずかしくて顔から火が出そうだ。子供じゃないと言いながら、子供のように泣きじゃくってわめき散らす。こんなことをするのが、子供でなければ一体なんだというのか。
「……メルディ! 落ち着け!」
「メルディはコドモじゃない! いもうとなんかやだ! やだあ……!」

 妹だって言うなら、二度と話し掛けないで。
 そんな、優しい目で見ないで。
 触らないで。
 抱きしめたりしないで――――

「やだ、やだいやだやだやだやだぁっ……!」
「メル、ディ!」
 抱きよせようとしてもおとなしくなってくれずじたばたするメルディに、キールはとうとう意を決して自分の口で彼女の口を覆った。
 ぴたりと泣き声がやむ。柔らかく温かい感触にじん、と頭の芯が痺れる。ともすればなくなってしまいそうな理性を必死で保ちながら、彼は息つく隙も与えないほど強くメルディの唇を貪り続けた。
「……ん……」
 目を閉じていても、彼女が夢中で口づけに応えているのがわかる。腕の中の身体から、みるみる力が抜けていく。
 しばらくして、キールはようやくメルディを解放した。彼女は頬を染めて、ぐったりと彼の胸の中に倒れこんだ。彼自身も足に力が入らない。崩れ落ちるように床に座り込んで、それでもなんとか腕を動かして淡紫の髪を梳いた。
「……妹かって言われたの、気にしてたのか?」
 メルディがこくんとうなずく。
「いもうとは、やだ」
 何が物足りないと思っていたのか、なんとなくわかったような気がする。
 妹は、いや。
 自分を包む腕に力がこもった。
「……妹じゃ、ないぞ」
「……うん」
「……妹には、あんなことしない」
「……うん」
「兄妹なんて、ぼくはごめんだからな」
「メルディだって」
 声よりも鼓動のほうが大きく聞こえる。
 キールは息をついてふわふわの髪に顔をうずめた。
「さっきの、証拠だから」
「ショーコ?」
 瞳を覗き込んでくるメルディに、彼は耳まで真っ赤にして視線を逸らした。むりやり抱きすくめて動けないようにしてしまう。真っ赤になった顔を見られないための苦肉の策だ。
「さっきの、だよ! 妹なんかじゃないってこと。わからないなんて、言わないだろうな」
「ショーコって、『あかし』のことだな?」
 彼女はぽつりとつぶやいた。その声には確認の響きはない。キールは黙って彼女の背中をなでた。
「そっかー、ショーコってあかしか。……なあ、キール」
「……なんだ?」
 メルディは彼の胸に頬をこすりつけてささやいた。
「……も、一回だけ、ショーコ見せて……」





 求めるものが、同じなら。
 見つめる未来が、同じ形をしているなら。
 それなら、きっと――――……







--END.




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あとがき。
今更かいッッ!!
今更何言ってんですかあなたたちッ!
どこからどうみてもラブラブにしか見えないクセして!

…はぁ、はぁ。
自分で書いといてなんですが突っ込みたくなります。
どうやら正真正銘ファーストキス…らしいです。遅ッ!
言い訳としては、思いのほか早くリッドたちが来たんで…
進展する暇なく一度「四人」に戻ったから、ということで…
…って、苦しい…(笑)数ヶ月はあったはずなのにキールさん。
ちなみに元ネタは某F○だったりします(笑)