旋律の向こうに(後)





 ぐすぐすと自分自身のすすり泣く声が、誰もいない寝室に響き渡っている。
 あれから数時間、メルディは寝室の扉に鍵をかけて、ファラどころかクィッキーすらも部屋に入れようとはしなかった。
 すでに枕は涙でぐしゃぐしゃだ。泣くのにもいい加減疲れてきたし、なんだか馬鹿らしいような気までするのに、一向に止まってくれない。
 あんな風に突き放した言葉を聞いたのは、ひさしぶりだった。彼にしてみれば特に悪意もなく、きっと手っ取り早く会話を終わらせようとしてあんな言い方をしたに過ぎないのだろうに。そういう人なのだということは、今の自分ならよく知っているはずなのに。いちいち反応して心を乱すなど、無駄なことのはずなのに。
 それなのに。
「……きーるのばかあぁ〜……」
 メルディはもう何度も繰り返した罵り文句を、力なくつぶやいた。枕に顔を押しつけているために声がこもる。
 旅が終わってからずっと、たくさんの時間を共に過ごした。少しでもそばにいなければ不安で、ともすればまた一人ぼっちになってしまうのではと恐れるメルディを気遣って、キールは精一杯の優しさを見せてくれた。
 同じ家に暮らして、同じ献立の食事を食べて。二人の間に隠し事など皆無と言ってもいい状況にすっかり慣れてしまったところにこれだ。彼が悪いわけではないとわかっていても、やはり苦しい。
(もしかして)
 メルディはごろんと仰向けになり、ふと考えた。
 キールがずっと優しかったのは、孤独に怯える彼女の心を慮ってのことだった。

 もしかして、『四人』に戻ったから?
 彼女の恐怖を芯から理解している人間は、そう多くはない。育ての親であるガレノスと――あとは、あの旅の思い出を共有する彼らくらいのもの。グランドフォールの直後、彼女にとって心から信頼を寄せるに足る存在はキールしかおらず、彼もまたそのことを理解していたがゆえに全力でメルディの思いをかなえようとした。
 いつも自分のことを後回しにして、まるで雛を守る親鳥のように、気づけばいつも見守る視線を感じていた。
 もっぱらファラの役割だったはずの彼女への気遣いは、いつからかキールへと移行していて――いつのまにかそれが当たり前のように思っていたけれど。
 彼にしてみれば、それは『当たり前』の状態ではなかったのかもしれない。あの旅は終わったのだから。メルディは確かに自らの足で地に立ち生きていくだけの力を取り戻したかに見えるのだから。もう自分の役割は終わったのだと、そう思っているのかもしれない。
 もしそうなら。

 そのうち。

 離れて。

 いく?

(い、嫌だ、イヤだ、いやっ!)
 一瞬で頭の中を埋めつくした予感をふりきるかのように、メルディは激しく首を振った。
「っ!?」
 かは、と乾いた音をたてて喉が鳴る。起きあがった拍子に、続けざまにぼたぼたと新たなしずくがシーツに染みを作る。涸れかけていたはずの涙がまだこんなにも残っていたのか、とどうでもいいことに思考が及んで、メルディは咳き込みながら眉を歪めた。
 他の人間の隣にいるときには決して持ち得ない、あの安らいだ空間を手放すことは耐えがたい苦痛だ。
 けれど、キールが望んで離れていくというのなら、彼女にそれを止める術も権利もない。
「…………イヤよ…………きー……」
 再び枕に顔を落としたメルディの耳に、聞きなれた旋律が響いてきたのはそのときだった。








「用ってそれだったのか?」
 存外大きく響く旋律を聞きつけたのか、ノックもせずに部屋に入ってきた幼なじみの声に、キールは振り返りもせず口だけで答えた。
「……ああ」
 寝台脇の小卓の上には、陶製の少女の姿をかたどったオルゴール。少女のドレスはメルディがワンピースの下に着ているようなふんわり淡い色合いで、レースの模様まで緻密な細工が施されている。ぜんまい仕掛けでくるくる回るその様は、まるで踊っているようだ。
 リッドはふーん、と無感動にうなずいたきり何も言わない。キールは隣に座った彼を横目で見やって不審げな表情を見せた。
「……何も言わないのか?」
「は? 何が?」
 心底から疑問に思っているらしい声音で聞き返されて思わず力が抜ける。
「だからさ! ……男がこんなもの買って変だ、とか……」
「いや、別に?」
 本気でなんとも思っていないのだろう、リッドはからかってくるでもなくしげしげとくるくる回るオルゴールを眺めている。
 そういえばそうだった。この食べることと日々を安寧に暮らすことにしか興味がない幼なじみは、なんだかんだでちいさいものや可愛らしいものもなかなか好きなのだ。昔からそうだった。森でみつけた狐の巣の様子をちょくちょく見にいってみたり、はばたく練習真っ最中の小鳥の雛を眺めていたり。
 どう見ても女性好みな品物を買ってはやし立てられることを警戒していたのだが。
 ……もしかしてわざわざ隠すようなことじゃなかったかもな……
 キールはため息をついて寝台に寝転がった。
「しっかしやけに可愛いな〜。メルディにでもやるのか?」
「い、いや違う。この曲が気になったんだ…ちょうど今はこのデザインしかないって言われてさ、仕方なく」
 なんとなく気になったから買ったのだ。店員にも「彼女にプレゼント?」と尋ねられたが否定した。……しどろもどろな上に声が裏返っていたため、どう解釈されたかはまあ考えないようにするとして。
「そうだ。リッド、この曲に聞き覚えはないか?」
 キールは勢い込んでリッドに顔を近づけたが、彼は首を傾げただけだった。
「……いや? どこで聞いたんだ? ミンツ大学で、とかだったらオレに聞いても答えは出ないぜ?」
「確かに旅の途中で聞いた記憶があるんだが」
「わたしもわかんないなあ」
『うわっ!?』
 突然上から降ってきたお気楽な声に、男二人は悲鳴をあげて思い思いの姿勢をとった。曰く、リッドはなぜか手を胸の前に交差させて防御の姿勢。キールは頭を抱え込んで二台ある寝台の間の隙間に退避。それぞれの反応を見て取って、声の主、ファラは当初浮かべていた笑顔はそのままに腰に手を当てた。
「リッド〜? キール〜? その反応は、何かなあ〜?」
「ファラがびっくりさせるからだよ」
 その迫力がもっぱらリッドに向けられたためか、多少立ち直るのが早かったキールがごそごそと這い出しながら答える。ファラは大きくひとつ息をつくと、寝台に腰掛けて改めてオルゴールを見た。
「わあ! 可愛いねえ」
 先ほどの凄みはどこへやら、嬉しそうに目をきらきらさせて見入る。やっぱり女の子なんだなあ、と微笑ましい気持ちで眺めていると、その顔がいきなりぐるん、とこちらを向いてキールは心持ち身を引いた。
「な、何? ファラ」
「メルディ」
「えっ……」
 慌てて扉のほうを見やると、言葉どおり確かにそこにはメルディがいた。足元には気遣わしげに彼女を見上げる青い獣の姿も。
 頬に髪を貼りつけ、真っ赤に泣き腫らした目でひたと見据えられて息を詰める。
 出る前に機嫌を損ねてしまったのはわかっていたけれど、まさか短時間でこんなにもボロボロになるまで追いつめたつもりはなかったというのに。
 口を開きかけたファラを身振りで遮って、メルディはすたすたと歩いてオルゴールの正面に座りこんだ。
「……子守唄だな」
 ちいさな唇からぽつりと漏れた単語に、三人は首を傾げた。
「メルディ、知ってるのか?」
 勢い込んで尋ねたところを静かに見返されてキールがぐっ、と言葉に詰まる。
 さすがにこの涙の時効はまだだ。いつものように質問攻めにする前にまずやるべきことは。
「あ、あのな、メルディ……」
「……キール。おかえり」
「あ? ああ、た、ただいま……」
 ただいま。
 その言葉を聞くや否や、メルディはキールの袖をひっつかんで肩を震わせた。。
「おおっ、おい!?」
 もう聞きなれた甲高い声を気にする余裕などない。青い服がたちまちのうちに水分を吸って濃い色に染まってゆく。

 ただいま。

 "おかえり"には"ただいま"。何気ない応酬だということはわかっているけれど、けれどこのやり取りをあと何度繰り返すことができるのだろう。そう思うと心臓どころか全身に引き裂かれるような痛みが走る。耐えられない。
「おい、メル……」
 キールは途方に暮れて泣きじゃくるメルディの背を叩いた。
 頬にどんどん血が昇るのを自覚しながら、視界の隅にクィッキーを抱き上げたリッドとファラの後姿を捉える。
 未だ鳴りつづけるオルゴールは止まる気配はなく、少女の奏でる楽器の音のような嗚咽と奇妙な調和をかもし出している。
「……悪いはキールよ」
 ぼそりと胸元から聞こえた声に、キールは面食らっていつもなら絶対にあり得ないほどの至近距離に目線を近づけた。
「ぼくか?」
「……そうよ。あんな、あんな……」
 あんなことを言われなければ、こんな苦しい思いつきなど浮かばなかったかもしれないのに。
 紅く潤んだ瞳から、新たな涙があふれ出る。
 メルディの台詞が何を指しているのか悟って、彼は自分でも気づかずに深く嘆息した。
"おまえには関係ない"
 行き先を聞かれて、あのときそう答えた。確か、そう答えた。
 誰より大切な少女が、なんだか一生に一度あるかないかの一大事に直面しているかのような切実な表情をしていたから、だから別にそれほど気にしてもらうほどのことではないと、おまえがそれほどまでに不安に怯えるようなことは自分は何一つ考えていないと、そう言ったつもりだったのだ、彼自身は。
 けれど、それは同時に相手を突き放す言葉でもある。その言葉は放った本人が想像したよりもずっと鋭い刃となって孤独に怯える少女の心をえぐった。
 そして、今も切り刻みつづけているのだろう。涙が止まらないのは、だからなのだろう。
「……悪かった……」
 キールは寄せられた細い身体に腕をまわし、力いっぱい抱きしめた。
 自分が口下手だということは、誰に指摘されるでもなくわかっていることだ。言葉で伝えられないのなら、態度で。自分が意味もなく他人を抱きしめたりすることなどないということを、きっと彼女は知っているから。
 これで、伝わるだろうか。
 嗚咽が少し、ちいさくなったような気がする。











 小刻みに震えていた身体がようやく落ちついてきたと感じられる頃には、部屋には濃い暗闇が落ちようとしていた。
 オルゴールはすでに止まっている。いつ止まったのかはわからないが、途中から全神経をメルディに集中させていたため、曲を聞く余裕などなかった。
「……メルディ。メルディ。もう、許してくれるか?」
 そっと見下ろすと、メルディはすぐそばにあるキールの顔を見ようとはせずにぽつりとつぶやいた。
「あのときいったこと、もっかいいってくれれば、……許してあげるよ」
「あのとき?」
 あのときと言われてもどのときかわからない。少々思考に沈みかけたキールを引き上げたのは、いや引き上げるどころか吹き飛ばしたのは重ねて言われた台詞だった。
「……グランドフォールがときな」
「グランドフォールっ!?」
 全身が火がついたように熱くなる。耳まで真っ赤に染めたまま硬直してしまった彼を、メルディは不満そうに見上げた。
「忘れたか?」
 覚えている、もちろん。というか、忘れられるはずがない。
 今にして思えば、我ながらいくら切羽詰っていたとはいえよくもあそこまで大胆な口説き文句を口にできたものだと思う。……いや、口説いているつもりはなかったし、メルディもそうは思っていないだろうが、他人が聞けばまず間違いなくそう解釈されるはずの。
 そして今口にすればそれはやはり。
 やはり。




 息の詰まりそうな沈黙の中で、メルディはキールの次の言葉を今か今かと待っていた。
 ……少しばかり、卑怯だとは思うのだ。涙を武器に、言質を取るような真似をして。
 でも、今一番欲しいのは。
 欲しいものは。
「……約束する」
 不意に低い声が耳に入って、メルディは勢い良く顔を上げた。あげようとした。
 が、キールの腕が邪魔になって阻まれる。
「ヤクソクする……なにをか?」
 わかってはいたけれど、意地悪く尋ね返してみる。含まれた意図に気づいたのか、キールはますます腕に力を込めて、しかし情けない声でぼやいた。
「勘弁してくれよ……あのときの約束は、守るから。絶対に破ったりしないから。だから改めて言わせるのは勘弁してくれ……」
 メルディはじわ、とまた溢れそうになる涙を慌てて瞬きして散らした。
 わかってはいた。
 この人が一度誓ったことを簡単に覆すようなことがあるはずがないとはわかっていたのだ。
 それでも、不安になるたびに求めてしまう。どうしようもない。
「ん。ごめんな」
 ごしごしと袖で涙をぬぐってから、メルディは手のひらで顔を覆っているキールから離れて小卓の上のオルゴールを取り上げた。
「これ、買いに行ったんだな」
「あ、ああ」
「そっか」
 きりきりと螺子を巻いて卓の上に戻す。再び澄んだ音色を響かせはじめたオルゴールを細い指先がちょいちょいとつついた。
「これセレスティアではユーメイの子守唄ね」
「セレスティアの子守唄か……どこで聞いたんだったかな……」
 メルディは一人ぶつぶつごちるキールに濡れた頬をわずかに緩めた。自分が旅の途中で歌ったことのある歌の中にはこの曲はない。街中で流れているようなものではないし、もし彼がこれを聞く機会があったとすれば一回、たった一回だけだったはずだ。
「やっぱりキールはすごいなー」
「何がだよ?」
 寝台に腰掛けてぶらぶら足を揺らす。秘密を打ち明けるようでなんだか楽しい。
「ルイシカのな、屋敷。あそこにもオルゴールあったよ」
「そうか!」
 キールは膝を打って大声をあげた。
 そう、はじめてルイシカを訪れたときのことだ。泊まった部屋にあった大きな箱型の機械。通路の筒型の装置にはひどい拒絶反応を示したメルディが、けれどそちらを触っても特に文句は言わなかった。だから好奇心の赴くままに動かして――この曲を、聴いたのだ。
 極光術の破壊力の中をからくも生き残ったあのオルゴール。歯は欠け、旋律は途切れ途切れでオルゴールとしてとても『無事』だとは言えなかったけれど――そう、確かにあれだ。
「あれはなー、シゼルが昔よく歌ってくれた子守唄とおんなじ曲が入ってたな。シゼルがいないときは、メルディあれ聞いて寝たよぅ」
 寝る前に必ずせがんでいた唄。父と同じく研究者だった母は四六時中メルディにかまけていられるわけではなかった。一人で寝なければならない寂しい夜の慰めにと、父が部屋に据えつけてくれたもの。
"甘えん坊のお姫さまのためにね"
 そう言って。 
 努めて忘れようとしていたことだった。
 暖かい日々を思い出すことは同時に辛い記憶の呼び水にもなり得る。だからなるべく考えないようにしていたのに。
 大丈夫みたいだと、そう思える自分に少し驚きを感じる。
 やはり戸惑いを覚えているのだろう、かすかに目を眇めてこちらを見てくるキールに、メルディは涙の余韻に鼻をぐすんと鳴らしてから、それでも微笑んだ。
「ヤクソク、忘れないでな?」




 過去のことと、割り切ることはまだ無理だけれど。
 笑うことを、思い出したから。
 この人の隣にいられるならば、自分は笑顔を忘れることはないだろう。









 旋律の向こうに、幸せだったかつての幻を見た。








 ちなみにキールが買ってきたオルゴールはメルディのものとあいなり――キールはその後数日間、実は扉の隙間から覗いていた幼なじみたちにからかわれっぱなしだったとか。







--END.




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あとがき。
まとまり悪ッ! 悪ッッ!!
最初はオルゴールネタだけのはずだったのに、途中でメルディが悩み出してくださったのがいけなかったやうです。
なーんで無用の心配ばっかりするかねうちのメルメルは…
おかげでメルの不安を解消するためにキールが必要以上にがんばらなければならない事態に。
がんばれー(他人事)

はい、キールの「酷い台詞」とは『関係ない』でしたとさ。ひねりもなんもないですね。
これって言うほうはたいした意味もないと思うのですよ。
でも言われたほうは…特に好きな相手とかから言われた日にはかーなーり、キツイんじゃないかと。
キールって結構悪気もなく不用意なこと言ってメルディ傷つけてそうです。子供というか。
ちなみになんで黙ってたかというと、単に恥ずかしかったからなんだなー。
男が可愛らしいファンシーグッズの店とかうろつくのがイヤだー、っていう心理ね。
まあ抵抗なく入れる男の人もいるでしょうけどキールは変にこだわってた、と。それだけ。

なーんかうちのメルディってキール依存度高いんですよねー。
んでも…なんか、彼女の過去とかその他もろもろ考えるとそのほうが自然な気がして。
時間が経ってオトナになればもうちょっと安定できるんでしょうけど。
一年や二年じゃ無理だな…十年くらいかかりそう。

このオルゴールをネタにしようと思ったのは三周目でした、確か。
タイトル画面から行けるサウンドトラック聞いてて、「あれ? オルゴール完全版…どこで?」と思ったんですね。
んで、第三の試練の最中にルイシカのオルゴール調べてみたら、やっぱり完全版音楽が聞こえて。
あれって崩壊後のルイシカでは壊れてて途切れ途切れじゃないですか。
なんかすごい切ないなーと思ったんだな…
あれが子守唄なのかとか、メルディのために作ったのかとかそういう設定は勝手に考えました。
まあメルディの思い出がらみのイベントとかキルメルらぶ系イベントの時のBGMと似た感じだし、
不自然じゃないよね? ね? …たぶん(笑)