四角い布切れ(後)
「んあ? どうしたんだよ、追い出されたのか」
昼時だからなのだろう、リッドは誰かが運んできてくれたらしいパン籠を抱えていた。
「ちょうどいい、おまえも食う? どうせ徹夜したんだろ」
「ああ。もらうよ」
うなずいて受け取ったパンはまだほかほかと温かかった。香ばしいにおいが口の中に広がった途端、キールは自分がとてつもなく空腹だということに気づいてしばらく無言でいくつかのパンを平らげる。
「メルディ、なんかいってたか?」
「なにも。それどころか泣かせちゃったよ。ぼくはいつまでたっても進歩がない。情けないな」
キールは苦笑して首を振り、寝台にどかりと腰掛けた。リッドの物問いたげな視線を感じて奥の間をあごで示す。
「ファラならメルディと話してる。『女の子同士の話』をするんだそうだ。追い出されたというのもあながちはずれちゃいない。正直あそこでファラが来てくれて助かったよ」
ふーん、とリッドは持っていたパンを飲み込んでからキールの顔を下から見上げるようにしてにやりとした。
「カオ赤いぜ」
「!」
キールは言い返そうとして口をパクパクさせたが、結局なにも思い浮かばずふいとそっぽを向く。
「メルディの泣き顔見てドキッとしたとか」
「なっ」
「そんでもっておもわず抱きつきたくなったりして」
「だあ――――――っ!!」
キールは大声を上げて立ち上がった。
「なんなんだよっ! おまえは!」
「いや、別に。思ったこと言っただけだけど、当たったか? オレってばすげえ」
「リッド〜?」
おどろおどろした声音で呼んで恨みがましい目で睨んでやると、それでもリッドはたいしてこたえた風もなく笑ってキールの正面に座った。
「ファラとメルディに対抗して男同士の話ってやつだ。お気に召さなかったか?」
その声に何か意図を感じてふと顔を上げる。案の定、彼は笑っていたけれど、それは決して揶揄するような表情ではなかった。
静かな部屋の中とは対照的に、外では城の木々を塒とする鳥たちがさえずっている。
「……リッド?」
「おまえだけじゃない、オレだってそういうことはある。あるからこそ予想だってつくんだよ。でも別に変なことじゃねえだろ? ごく自然なことだ」
話をふったはいいけれど、やはり気恥ずかしいのだろう、窓の外を見やる。
「……ファラに?」
「んー」
肯定とも否定ともつかぬ返事を受け取って、キールは寝台に乱暴に寝転がった。
「……なんかさ」
「ん?」
「何も考えてないように見えるんだよ」
「ああ」
そう、何も考えていないように思える。無邪気にまとわりついてきて、甘えて、笑っている。柔らかな手に触れられるたび、髪が揺れる様を見るたび、こちらの中にどんな想いが湧き上がるのか、彼女たちはきっと知らない。
「一緒にいるのは心地いいよ。でも……そのうち傷つけてしまうんじゃないかって、最近時々思うんだ」
「たいした変化だな。会ったばっかの頃はすーげえ目で睨んでたクセに」
「リッド」
「わーかってるって」
リッドは楽しげに肩を揺らして立ち上がった。
「ま、そういうのは成り行きだ。実際オレらは何にも知らねぇんだから、わかんなくなることだってある。でもま、自分だけじゃないってこと。誰でも通る道だとかなんとか、言ってたぜ」
リッドの最後の言葉がひっかかって、キールはふと眉をひそめて寝転がったまま頭だけを持ち上げて彼を見た。
「……言ってた? 誰が」
「フォッグ」
「……」
ぼんっと頭の中に豪快な笑顔が浮かぶ。語彙が足りないわけでもないのに言葉を選ぶ手間を放棄しているのではないかと思わせるあの男の助言とは。……複雑な気分だ。
「……」
黙りこむ。
「何すねてんだ」
「……すねてるわけじゃないが……」
確かにそのとおりだと思ってしまったから、なんだか悔しいだけだ。
リッドは笑いをかみ殺しながら奥の間へ歩いていって、控えめにノックした。すぐにファラが出てくる。
「なーに? どうかした?」
「メルディは?」
リッドに聞かれて彼女はキールのほうをチラッと見てからうなずいた。
「うん。眠ってる。もう落ち着いたみたいよ」
「……様子を見てもかまわないか」
起き上がっておずおずと尋ねてくるキールにドアを開けてやる。
「どうぞ。起こしちゃだめだからね」
「わかってるよ」
ほんの数歩の距離さえもどかしげにノブに手をのばした彼の背中に、リッドは扉が閉まる瞬間声を投げかけた。
「ごゆっくり〜♪」
閉まった扉の向こうで、どすばたん! とくぐもった音がする。
「あーあ、きっと転んだよ? 今の音」
腰に手を当ててファラが呆れたようにリッドを軽く睨んだ。
「せっかく寝たのに、起きちゃったらどうするのよ」
「しんぱいねぇよ」
声と身体が小刻みに震えている。背を向けているが、必死で笑いをこらえているのが丸わかりだ。
「なにが心配ないのよ?」
「おっと、パン籠空になっちまってるじゃん。またもらってこーようっと」
「ああっ! わたしとメルディとクィッキーのぶん残しといてねっていったでしょー! ほとんどリッド一人で食べたねー!?」
つかみかかってくるファラの手をひょいとかわしてリッドは廊下へ駆け出した。
「残念はずれー! 半分キールが食ったんだよ!」
「うそおっしゃーい!」
その後二人はわめきながらばたばた走っているところをロエンに呼び止められ、「城内で騒ぐな」と延々三十分ほど説教されることになる。
キールは足音を殺して部屋の奥へと歩いていった。ふかふかした極上のじゅうたんが敷かれているこの部屋で足音なぞを気にしても仕方がないのだが、彼はそんなことにさえ思い至らないほど緊張していた。
ゆっくりと天蓋のカーテンをめくる。
赤い顔は相変わらずだったが、とりあえず気持ちよさそうに眠っているのでほっと息をついて体の力を抜いた。そばの椅子を引き寄せて腰掛け、姿勢を斜めにしてメルディの顔を覗き込む。
幾筋も、涙の跡が見てとれた。ファラがぬぐってはくれたのだろうが、それでもはっきりとわかるほどに。
無意識に頬に触ろうとして、キールはびくりと手を引っ込めた。「ううん……」とメルディがうめき声をもらして寝返りを打ったからだ。
その拍子に布団が乱れ、ちいさな手が何かを握りしめているのがちらりと見えた。
「ん?」
何とはなしに、軽く引っぱってみる。するとメルディは眠ったまま顔をしかめてもう一方の手も添えて離すまいとでも言いたげに首を振った。
悪いとは思ったが、少しずつ手の中から気づかれないように引っぱりだしてみる。ようやく端のほうが見えるようになって、キールはふと目を眇めた。
見覚えが、ある?
「これ……」
見覚えがあるのも道理。それはキールのハンカチだった。真っ白な生地の隅に、ちいさくスミレの花と名前を縫い取りした、あの。
メルディが握りしめていたものの正体を悟って、彼はあのとき以上に真っ赤になって立ち尽くした。そういえば、返してもらった覚えはない。ずっとメルディが持っていたのか。この一年以上もの間、ずっと?
ハンカチなんて、どうでもいいのに。そう呟こうとしたが、唇は乾いて思うように動かなかった。
かわりにがりがりと頭を掻く。
(……まいったな)
キールとメルディは始終一緒にいるわけではない。彼がメルディをおいて遠出することもある。その逆も然り。離れている間の形代がわりのようなつもりなのだろうが、とにかくひたすら照れくさい。
「きー……る」
名前を呼ばれてキールは顔色もそのままに硬直した。
様子をうかがうが、起きてはいないらしい。寝言かと安堵して油断した彼は続いて目に飛び込んできたメルディの唇の桜色に、釘付けになってしまった。
微かに動いて、彼の名を呼ぶ。
花の色。
ふいに、窓の外の鳥のさえずりがやんだ。
先ほどまで身体中を駆け巡っていた熱は彼方へと消え去り、キールは不思議にしんと冷えた心でメルディの上にかがみこんだ。
吐息だけが熱い。
まぶたを薄く閉じて顔を近づけた、そのとき。
「クキュ?」
メルディの枕元に丸まっていたクィッキーがごそごそと身動きして鳴き声をあげた。
「――――――――っ!」
その声にはっと我に返り、キールはものすごい勢いで後ずさりして背中を壁にぶつけ、ようやく止まった。ずるずる崩れ落ちるようにして座り込み、手のひらで口元を覆う。
再び鼓動と熱が彼の中に舞い戻ってきた。
クィッキーが寝台の上から飛び下りてきて、「遊んで」とでも言うようにキールにじゃれついた。青い毛並みをなでてやりながら、少しずつ呼吸を整える。
「おまえ、ねらったか?」
ちいさな声でささやくように聞いてやると、クィッキーはきょとんとしてキールを見上げた。その瞳からは特に策略めいた光は見られない。本当に偶然だったんだろうという結論に達して、キールは苦笑いした。
良かったのか悪かったのか……自分でもいまいちつかみきれない。未練がないといえばそれは嘘になるけれど。
それなりの音は立ててしまったはずだというのに一向に目を覚ます気配のないメルディを覗き込んで、彼は目を細めた。
クィッキーが突然視界をふさがれてじたばたする。
クィッキーが腕から抜け出すその一瞬に、キールはメルディの額のエラーラに、ちいさく短く口づけを落とした。
--END.
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あとがき。
暴走したネキール!(←アンタだアンタ)
実は最初キールにも風邪ひかせようかと思いました。
つまり……ね。でもやめた。
このお話はED後一年とちょっと経ってる設定です。詳しくは時間軸を見てやってくだされー。
グランドフォールっていつ起こったのかよくわからないんですが、個人的には11月ごろだと思ってます。そろそろ寒くなるよーってくらい。
なんかモルルだかで「作物の出来が悪い」とかって台詞を聞いたからそんなイメージが湧いたんですけど。
これから冬で、それほど蓄えがなくて、たとえグランドフォールをしのげたとしてもその後くる冬を越えられるんだろうか…みたいな不安?
ってゆーか一年半も経ったのにまだ定期航路できてないんかい。そんでもって進展もないのかい。
お城の客間に間借りってどうかと思ったんですが、まあ大きな建物ですからね。
住み込みで働いてる人とかいるだろうし、兵舎とかもあるだろうし。
最初兵舎の一角てことにしようかと思ったんですが(ホテル何日も止まれない…)、キール一人ならともかくメルディいるし。インフェリアの女兵士って見たことないし。
ちなみにこれ、「黄昏」とつながってます。ハンカチの設定が。時間はすっごい空いちゃってるけど。
メルディがうじうじしてるよ(笑)
ま、思い出の品ってことで手放せなかったと、そういうことにしといてやってください。
しかし、「女の子同士のお話」とかなんとかの表現。なんか、書いてて自分で笑えました。笑。
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