ちょっとだけ、ちょっとだけ気になったのだ。
いつも周りに気ばかり使って、無理やりにでも微笑んでみせる彼女が腹立たしかったから。
自分の手で、心からの笑顔を一瞬でも引き出せたらいいと、思ってしまったのだ。
ただ、それだけ(1)
『団欒』と呼んで、差し支えない時間だと思う。
囲む焚き火は暖かい橙色で、並ぶ食事は好物ばかり。円座になって座っているのは気心の知れた友人たちで。
穏やかに談笑している。
けれど暗いと思うのは、そう、いつもにぎやかな少女が静かだからだ。低く垂れ込める雲も、乏しい陽の光にももうとっくの昔に慣れてしまったというのに。
すでに食事を終えいつもどおり本を広げていたキールは、うつむいた顔の向きはそのままにそっと隣のメルディを見やった。
焚き火に赤く照らされた長い前髪の隙間から小ぶりな横顔が垣間見える。一心に口許にスプーンを運ぶ姿は、一見夢中で食べているようにも見えたが、どうも咀嚼のペースは遅い。食欲がないのは見ていて明らかだった。
「ファラー、おかわり」
はやくも三杯目を平らげたリッドが空の皿を差し出す。驚異的な食欲にもファラは慣れたもので、たいして表情も変えずにさっさと新たな料理をよそってやった。
「メルディも〜」
「あれ、メルディも? いいよー、いっぱい食べてね」
にこにこと差し出された皿をにこにこと受け取ろうとしたファラは、脇から伸びてきた手に押しとどめられて訝しげにそちらを向いた。
「キール? どしたの?」
無言で首を振る彼に、ファラが首をかしげる。キールは答えずまず皿を彼女の手から取り上げて、それからメルディを振り返った。
「もう充分だろう」
メルディは意外なことを言われたとばかりに一瞬目を見開いたが、すぐに表情を殺して――いや、実際には微笑んだのだが、キールにはそう見えたのだ――かぶりを振った。
「そんなことないよー。メルディ、お腹ペコペコ……」
「うそつけ」
ため息をつく。苛立たしげな様子に反論しかけたメルディは、しかし次には真摯な光を宿した青紫の瞳に射すくめられて息を詰めた。
「……気分、良くないんだろう? もう十分食べた。これ以上無理することはない」
ぶっきらぼうな言葉なのに、何故だかすうっと心に染み込んでくる。彼女は神妙にうなずいた。
「……はいな。ごちそうさま」
キールは何事もなかったかのように読書を再開した。メルディがクィッキーを抱きしめる。
ファラは鍋をおたまでかき混ぜながら二人の様子を見比べ、それから視線をめぐらせた。
隣に座るリッドはキールをからかうでもなく、ただただ食事に没頭している。今の会話が聞こえていなかったわけでもないだろうに。知らぬふりをしているのだ。
沈黙が落ち、ぱちぱちと焚き火のはぜる音がつかの間その場を支配する。
素晴らしい速度で四杯目を片付けたリッドは、次がいるかと目で聞くファラに手を振って食事の終了を伝えた。
「ファラ、皿洗いに行こうぜ」
立ち上がったリッドにメルディが顔を上げる。
「あ、メルディも……」
「二人いりゃあ充分だよ。メルディとキールはここでテントと荷物の番しとけ。なんなら、先に休んどいてもいいぞ」
リッドは手早く皿をかき集め、キールを一瞥して歩き出した。ファラがあわただしくその後に続く。
橙色の光から、だんだん離れていく。
キャンプを設営したその場所から少し歩いた小川のほとり。夏ならば涼しく感じるせせらぎは今はわずかな星明りを反射して光り、寒々とした印象を拭えない。
ファラはちいさくくしゃみをした。もうそろそろ秋も終わり。夜ともなれば寒さもひとしおだ。
しかし彼女の心を占めていたのは別のことだった。あかぎれができるのではないかというほどの水の冷たさも、大して気にならない。
「……あんまり気にするなよ」
静かな声でぼそりと言われて、ファラは一瞬何のことを言われたのかわからずにぽかんとして隣の青年を見やった。
「気にしてる? わたしが?」
「メルディの具合が悪いの気づけなかったって、気にしてるだろ」
「……ああ、そうか」
自分が気にしていたのはそれだったのだ。指摘されてはじめて気づくなんて。どうかしている。ファラは軽く笑って皿を水に突っ込んだ。
「そうだねえ。……でも、なんかすっきりしなくて」
メルディがいつになく静かだということは、彼女だって気づいていた。その理由も知っているし、気持ちだってわかる。
心の奥のことまでは見えない。なにしろメルディは自分を押さえ込むことがうまい。うまいという言葉で表現すべきことなのかどうかはわからないけれど、傷つきやすいくせに傷ついていないような顔で笑ってみせる。感情を押し隠す術を無意識のうちに使っている。だから、とくに顔色が悪いわけでもなし、見ただけで食欲があるのかないのかなどわかりそうもないことなのに。
「なんでキールにはわかるのかなあ……」
自分たちの間の絆はとてつもなく強固なものだという自信はもちろんあるが、出会って数ヶ月の彼女のことを。
リッドとキールのことなら見ただけでわかるのだ。取り繕うことなど知らない子供の頃を見知っているからこそ、ちょっとした変化も目ざとく見つけることができる。
けれどメルディのそれはわからない。隠そうとしているものが、何故キールには見えるのだろう。
「しょうがねえだろ。今一番メルディの近くにいるのは、たぶんあいつだから。……だから、しょうがない」
淡々と言いながら休みなく手を動かす。
「……キールが一番遅くメルディと会ったのにね、わたしたちの中で」
「大して変わらねぇだろ」
せいぜい数日の差だ。しかも言葉が通じなかった。
「仲悪かったのに」
「知らなかったからだろ」
「……そのうち、わたしにも見えるようになるかな? ううん、見せてくれるようになるかな?」
鍋の焦げをたわしで削げ落としながら、ファラはふと空を見上げた。雲の隙間に、かすかに星が瞬いて見える。
「……そのうちな。隠しても無駄だって、わかってくれりゃあ……キールがどうにかするだろ」
濡れた手で頭をがしがし掻きつつ、リッドは後ろを振り返った。ここは、背後の木立が邪魔で焚き火の光は届かない。当然残してきたキールとメルディの様子がわかるわけでもなく――それでも、彼には浮かび上がる橙色の中でぼんやりと膝を抱える二人の姿が見えるような気がした。
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