世界の崩壊など、物語の中でしかありえないと思っていた。
異世界との交流なんて、二度とできないと思っていた。
大半の人々が抱えたであろうそんな感想も、そろそろ薄れてくる頃だろうか。
それともまだ、じくじくと心の中で熱を持ってうごめいているのだろうか。
手探りで(1)
空がどこまでも高い。
青く透き通って、千切れ雲が流れていって、風の晶霊が遊ぶさまが目に浮かぶような気がする。
ようやく色づき始めた木々は、赤や黄色など色とりどりの衣をまとって冬支度をはじめている。
今外にはどんな風が吹いているのだろう。昼寝していたらいつのまにかリッドとファラはどこかへ行ってしまった。今日はキールと四人で王都の市で夕食を食べる約束をしたから、夕方には天文台の前で会えるだろうけれど。
明日の朝にはみんなでセレスティアに発つのだから、徹夜や食事抜きなどもってのほか。そういうことで、三人がかりで無理やりキールに約束させたのだ。
グランドフォールから一年近く、キールとメルディはインフェリアとセレスティアを行き来しながら日々を過ごし、リッドとファラはラシュアンに帰って以前の生活に戻っていた。作物の収穫も一段楽して、久しぶりにフォッグやガレノスにも会いたいと駄々をこねるファラがリッドを引きずって王都にやってきたのは三日ほど前のこと。メルニクス語の文献を読む必要があるときはともかく、普段メルディは研究者たちに混じっても特に役に立てるわけではないため、アレンデ王女が用意してくれた客室でぼーっとしているか街に出て店などをひやかしているのだが、ここ三日間は二人のおかげで退屈せずにいられた。
アイメンの人々はそんなに退屈ならセレスティアに残ればいいのにと苦笑するが、強くは言ってこない。なんだかんだいってメルディはインフェリアも好きだし、なによりあまりに長い間キールの顔を見ずに過ごすのも落ち着かない。
メルディはひとつ伸びをして髪を軽く撫で付け、膝の上でおとなしく丸まっていたクィッキーを肩に乗せた。
どうせ夕方には王立天文台に行かなければならないのだ。まだ時間はあるし、街をぶらぶらしてみるのもいいだろう。
廊下を抜け、外に通じる中庭を通りかかったとき、鮮やかな色彩が目に飛び込んできた。さまざまなデザインのドレス。日ごろ王宮に入り浸っておしゃべりに花を咲かせている貴族令嬢たちだ。
「まあ、メルディさん」
こちらを向いていた一人が明るい声をあげて手を振った。
名を呼ばれては無視するわけにもいかない。メルディは手招きされるままに近づいていった。それに、どうせ暇なのだ。彼女たちのきらびやかさは目にちかちかするけれど、決して嫌いではない。
世間知らずゆえの純粋さに護られて、この少女たちは偏見や憎悪といった感情を知らない。見掛けの奇異さに臆することもなく無邪気に話し掛けてくる。悪意は感じられないから、身構える必要がなくて楽でいい。
「いらしてたんですのね。おひさしぶり」
さざなみのようにかけられる声にっこり笑う。
「はいな。ひさしぶり!」
「今日はおひとりですの? せんだってお見かけしたときは男性とご一緒でしたけど」
「まあ、不躾なことをお聞きになるのね!」
問いを発した金髪の少女が隣で笑い出した黒髪の少女の方をむいて、きょとんとする。
「なにかおかしなことを聞きまして?」
もしそうならごめんなさいねと覗き込んでくる彼女に、メルディは首を振った。
「べつにいいよー。キールはな、天文台。いっぱい、いっぱいの人と一緒に研究してる」
「そういえばミンツ大学のかたがたが大勢王都にいらしていると聞きましたわ。船……の研究でしたかしら? 父から聞いたのですけど」
「ああ、あの同じ服を着ていた方々ですのね! 皆さんまったく同じ格好をしてらっしゃるものだから、わたくし何事かと思ったのですけれど。あれは大学の制服なのですか」
令嬢たちにメルディは曖昧な笑みを浮かべてうなずく。
「インフェリアとセレスティアの自由に行き来できるようにって、みんな一生懸命よぅ」
「でしたら前にご一緒だった方も大学の方ね。同じ服を着てらしたように記憶しておりますもの」
「そういえば男性がたが騒いでおいででしたわ。学生の中に可愛らしい方が何人もいらしたって」
「ああ、貴族の仕事は政治と恋愛だと言い切ってはばからない方は何人もいらっしゃいますものね」
「はあ〜、キゾクってみんなそうなのか? メルディにはわからんな〜」
首をかしげて心底不思議そうにいうメルディの肩を少女たちの一人が軽く小突いた。
「いやですわ、メルディさんにも関係はありますわよ。メルディさんがお城にいらっしゃるたびに、いつもは寄り付かない方々の姿を何人かお見かけしますもの。あのかたたちは、メルディさんのことが気になってらっしゃるんですわ、わたくし絶対そう思います!」
「ええ〜?」
メルディは顔をしかめた。貴族の子息となど話したこともない。ロエンくらいだ。話したこともない人物に想いをよせられていると言われても、正直ありがた迷惑である。
「メルディさんはお綺麗ですもの、仕方ありませんわ」
どこが。
思わず内心で突っ込みを入れる。インフェリアとセレスティア間の習慣の違いはわかっているつもりだが、恋愛談義にはとんと縁がない。
目を白黒させていると、
「あら、その方たちは残念ですわね」
ふふ、と口元に手を当てて黒髪の少女が目を細めた。
「だってメルディさんはあの方と恋仲でいらっしゃるのでしょう? いつだったかアレンデ姫様とお茶をご一緒したときにお聞きしましたの。素敵ですわ、世界をまたにかけた恋!」
「ふえっ!?」
メルディはびっくりして甲高い声をあげた。少女たちがいっせいに胸元でこぶしを握りしめて顔を近づけてくる。
「まあ、そうでしたの!?」
「ですからいつもご一緒でしたのね!」
「え、あの……」
メルディはおたおたして手を振り回したが、なにしろ噂話こそが日々の楽しみである彼女たち。きらきらと目を輝かせてにじり寄ってくるものだから、話を逸らすなどできそうもない。
であれば、選択肢はひとつだけ。
「メルディ知らないよぅ!」
メルディは真っ赤になって逃げ出した。はなやかな笑い声が後ろを追いかけてくる。不快感はないが、ひたすら恥ずかしい。
自分がいなくなったあとでやはり彼女らの話題はそのまま続いてしまうのかと言う考えがちらりと頭をよぎったが、あの場でからかわれつづけるよりはましだ。メルディ自身普段は自覚すらしていないけれど、人に指摘されるとやはり照れてしまう。
熱くなった頬を冷まそうと、彼女はしばらく走りつづけてから通りの真ん中で立ち止まった。
いつのまにかとっくに城門をくぐって、周りはにぎやかな喧騒にあふれていた。今日は市が立つ日だ。今のうちにおいしいお店を探しておくのもいいかもしれない。そう思ってメルディは鼻歌を歌いながらクィッキーとともに通りを歩いていった。
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