修学旅行(6)
「……行った、か?」
冷徹ながら激しさもまた含む口調で、まるで吹雪のように吹き荒れたお小言を命からがらやり過ごした生徒たちは、足音がはるか遠くに過ぎ去ってからようよう身を起こした。
氷室は騒いでいたメンバーが誰かということまでは確認していかなかった。彼なりのささやかなお目こぼしといったところだろうか。反省文の提出を要求されることすら覚悟していたものもいたらしく、みな一様にほっとした雰囲気で微笑みを交わしあっている。
まどかはかぶっていた布団から頭を出して息をついた。同じ布団の別の一辺から奈津実の手が出てきている。じたばたしているところを見るにどこから出ていいのかわからないのかもしれない。なんだか酸素をほしがっているようにも見える。思いっきり布団を引っ張ってやると、彼女はうっとうめき声をあげて丸くうずくまった。
「うあー、急はダメ! まぶしい! まぶしいってば!」
「……あのなあ」
脱出しようと暴れていたのはどこの誰だったのやら。もう一度布団をかぶせる。正面と思われる場所にしゃがみこむと、奈津実はおそるおそる目だけのぞかせて何度か瞬きし、それからにぱっと笑った。
「いーや、助かったわありがとねえ。ヒムロッチに発見されてたら今ごろどうなってたことやら……」
まったくサドなんだからあいつ。
何かを思い出しているのか、仏頂面でぶつぶつぼやく彼女に、まどかはかりかりと後頭部をかいた。
確かに。
奈津実は自他ともに認める氷室の天敵だ。二人が顔を合わせていたらあの程度ではすまなかったのかもしれない。あの厳格教師は奈津実の顔を見ればいつもいつも、前触れもへったくれもなく説教を始める。けれどその表情はなにやら楽しそうで、もしかしたらあの男はお小言をたれる相手を失ったら途端に元気をなくしてしまうのではないかと思わせるほど。
奈津実を同じ布団に引きずり込んだことに特に深い思惑はなかったのだが、適切な行動だったといえるだろう。我ながらあっぱれ。
うんうんと一人うなずいてから、彼はすっかり明るくなった室内を見渡した。テーブルのそばでは桜弥が未だ硬直している。その顔の正面では和馬がひらひらと手を振っているが、あれでは我に返るまでもう少し時間がかかるだろう。珠美は他の生徒と共に乱れた布団を直している。あと、足りない顔はといえば――……
「おーい、葉月〜? 深悠ちゃ〜ん?」
先ほどまでとはうって変わって静かになった室内で、まどかは口の横に手を当てて見当たらない人員の名前を呼んだ。布団に人が隠れているようなふくらみは見うけられないし、部屋を出ようとしたなら氷室と鉢合わせになってしまう。この場にいるはずなのに、姿が見えない。
「あれ? 深悠と葉月は?」
ようやく明るさに目が慣れた奈津実が、もそもそと布団から這い出してきて首をかしげる。問いかけるような視線に同じく頭をかたむけてみせると、背後の押入れの扉がガタガタと鳴った。
「お、そこか?」
そういえば押入れの内側には取っ手はついていないのだったか。誰かが開けてやらねばならない。ぼこぼこと安定しない足場を軽い足取りで乗り越えながら襖に向き直る。
「やっぱ賢いな、自分ら。センセも押入れまではチェックせんもんなあ〜」
すぱん、と思い切りの良い音がして紙の戸が開き。
次の瞬間、まどかは眉ひとつ動かさずもう一度襖を閉めた。その間約二分の一秒。
「……開けてくれ」
暗がりの中で座りこんでいた人物はひどく冷静な声で要求したが、果たして彼の態度は正しいものと言えるのだろうか。数瞬考える。
……いや、まあ冷静なら冷静でいいのだろう。だがしかし、この光景を自分はともかく部屋の中にいる他の面々に見せてもいいものなのか。否、見せるべきなのかどうか。
「そのままそこにいてもええんちゃうのん?」
提案してみるが承諾の返事は返ってこない。彼にとってはそれなりに魅力的な提案のはずなのだが、返す声はやはり小憎たらしいほどに冷静でもっともな答えだった。
「……狭いんだ」
「あ、なるほど」
「もー、開けてって言ってるんだからさっさと開けてやればいいじゃん」
ぽんと手を叩いてしきりに納得しているまどかにじれたのか、奈津実が横合いから手を差し出してさっさと襖を開けてしまう。
のっそりと、二人ぶんの影が明るい光の中に出てくる。
嵐が去って、さわさわとざわめきが戻り始めていた室内に、再び沈黙が満ちた。
「……ねえ」
「なんや」
誰に向けられたものかは明々白々な、けれど答えを期待していない問いかけに応じたのは隣にいた別の人物だった。ぺしりと軽く肩をはたいてから、本来の相手にもう一度水を向ける。
「深悠、……まさか、寝てるの……?」
金髪の頭がこくりと上下した。声を出せ手間を惜しむななどと思いつつも、目の前の信じがたい光景に二の句が告げない。
奈津実の言葉どおり、深悠は、寝ていた。
いっそ拍手してやりたいほどの度胸である。両のこぶしで珪の体操服を握りしめ、安らかに熟睡しているその姿からはおよそ緊張感というものが感じられない。あんな騒ぎの後で、しかも教師にみつかるかもしれないというある意味ではとてつもない脅威を前にして、いくらなんでもこれはないだろう。
「…………大物なのか単なる馬鹿なのか、ときどきアタシこの子がはかり知れないことがあるわ……」
「……狭くて、くっついてたから。あったかくて気持ちよかったらしい……」
「子供みたいやなあ」
一部の男子が食い入るように二人を見つめているのを眼の端でとらえながら、まどかは気の毒なことだと思いつつもついつい苦笑してしまった。普段隠している内心も、こんな事態を目にしては取り繕う余裕などありはしないだろう。気持ちはわからないでもない。
おそらくどころか確実に、深悠にまったく他意はないのだ。珪が言うとおり、単に人肌の心地よさに負けてまぶたがくっついてしまったに違いないのだが、それはそのまま彼女が珪に寄せている信頼を表す。彼らの淡い想いは見事に打ち砕かれたわけだ。
呆然と注がれる視線に気づいているのかいないのか、彼は嘆息して至近距離にある寝顔を見下ろした。
「……このままってわけにもいかないから」
珪は腕の中の身体を奈津実にあずけようと身じろぎした。拒否のつもりなのか、ぬくもりが離れてゆくことに反応してか、深悠が「ふにゃあ」と一言うめいて彼の胸にごりごりと額をこすりつける。珪はぱっと頬に朱を散らして彼女を引き剥がし、差し伸べられた腕に押しつけた。周りが呆気に取られている間にさっさと踵を返し、布団にもぐりこむ。
「……………………照れてるの? あれ」
「……たぶん。いっくら葉月でも今のはきついやろ」
こそこそと耳打ちを交わし、まどかは吹き出しそうな口許を必死で保ちながら後ろを見やった。深悠はすでに新しくあてがわれたぬくもりにすがりついてご満悦そうだ。
何はともあれ一度みつかってしまったのだ、もう枕投げの続行はできないのだし。
奈津実は珠美とともに両側から深悠を支えて、早々に退散することにした。
あっという間に過ぎ去った数日間。帰りの高速バスの中で、深悠は自らが薦めた西陣織のアイマスクをもてあそんでいた。
「……やっぱりちょっと派手だったかなあ?」
「だな」
隣に座る珪は、珍しくちゃんと起きている。ただし頭は彼女の肩に軽く乗せられて、就寝の体勢だ。すでに触れられることに慣れきっている深悠は緊張した様子も見せず興味津々で刺繍と染めを眺めている。
「……なあ」
ぼそりと呼びかけられて、くるくるした瞳がこちらを向く。なあに? とでも言いたげに小首をかしげているさまが愛らしくて、彼は知らず唇の端に笑みをにじませて尋ねた。
「楽しかった、か?」
「うん、すっごく!」
聞かれるまでもない。深悠は嬉しそうに顔を輝かせてうなずいた。
学校で一緒にいるだけでも楽しいのに、その友人たちと旅行をしたのだ。教師の引率つきで、定められた日程に沿ったものではあったけれど。
楽しくて楽しくてここ数日はずっと笑いっぱなしだった。ひそかにあごの筋肉が痛かったりする。
なにより、嬉しい発見もあったことだし。
「だあれも、近づいてこなかったよね」
「ん?」
珪が首を動かす。色素の薄い髪がさらりとこぼれて首筋をくすぐる。
「だからね、見られてはいたんだけど、いつもみたいに『葉月珪だ』って追っかけてくる人がいなかったよねって。わたしたち、ただの修学旅行生だったんだよね」
深悠はにこにこしてバスの天井を見上げた。
嬉しかったのだ。外を歩くときに必ず珪につきまとう視線。"モデル葉月珪"に対する好奇のまなざし。はばたき市周辺では嫌というほど感じるそれが、けれど遠く離れた土地には存在しなかった。もちろんその端麗な容貌は充分に人目を惹きつけるものではあったけれど。けれどこの数日間、彼は目立つ容姿こそしているものの単なる一高校生として周りからも見られていたのだ。
だから。
彼女の言わんとするところを察して珪が優しげに目を細める。
「また来るか。……二人で」
「いいねえ」
誰か別の人間が聞きつけようものなら激しく疑問符を撒き散らしそうな会話をのほほんと交わしながら、二人は同時に目を閉じた。
目覚めたときには、慣れ親しんだ街並みが迎えてくれるのだろう。
--END.
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あとがき。
終〜了〜で、ございます。おつきあいありがとうございましたv
いや、長かったなあ…
実は卒論予定枚数を大幅に上回る量だったりします。
いやだから何って言われればおしまいなんだけど。
ひたすらだらだら書いてました。
楽しかったです〜。二年秋なのになんでナチュラルにいちゃついてるかな。不思議〜。
そして思ったとおりにいやんと奈津実ちゃんが出張りました。
お嬢ラブなのに私! お嬢目立たなかった!(笑)
他のサイトさまの修学旅行のお話とか読むと、「ああ、こういう目の付け所もあるんだなあ」とか
新たに思わされることもあるんですけど、この話はこれでおしまい。
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