出会ったのはきっと、たまたまだった。
 好きになったのだって、たぶんたまたまだった。
 偶然が重なり合って、今がある。
 その今が、たまらなく愛しい。







偶然と必然








 東向きの窓にひかれた青いカーテンの隙間から、夜明けの到来を告げる光が差し込んでくる。外が徐々に明るくなるにしたがって、鳥のさえずる声もまた少しずつ大きくなっていく。
 キールは薄紫の髪から腕を引き抜いて仰向けになり、手で光を遮ろうとした。
 どうも少し早く目が覚めてしまったらしい。このまま隣に眠る温かい身体を抱きしめてまどろむのもいいかと思ったが、今日は人との約束がある。ずっと前からの約束なのだから、違えるわけにはいかない。今二度寝すれば、きっと昼まで眠りつづけてしまうだろう。いくらなんでもそれはいただけない。
「よっ……と」
 目の前の誘惑を振り切り、彼は弾みをつけて、けれど音を立てないように注意をはらいながら寝台の上に起き上がった。隣のメルディは起きる気配がない。まあ、昨夜の自分たちを考えれば無理もないのだが。思い返して、キールはひとり赤くなった。
 剥き出しの細い肩に毛布をかけてやってから、彼はすばやく着替えを済ませた。そっと扉を閉めて階段を下りていくと、すでに目覚めていたらしいクィッキーが嬉しそうに駆け寄ってきて、足に頭をこすりつけてきた。薄く笑ってしゃがみこみ、その青い毛並みを優しくなでてやる。
 冷蔵庫の中には、野菜が少しと昨日の夕食の余り物。今日あたり買出しに行かなければ材料が足りなくなるかもしれない。とりあえず、朝食としては充分だ。適当に刻んでフライパンに放り込む。
 数ヶ月の旅暮らしと数年のメルディとの共同生活のおかげで、料理の手際はすっかりよくなった。手を動かしながら鼻歌を歌う余裕まである。……余裕があるだけで、実際に歌うわけではないが。
 じゅうじゅう音を立てるフライパンをリズムをつけて揺すっていると、階上で扉の開く音がした。メルディが目を覚ましたらしい。足音がずいぶん慌てている。今日の朝食当番は彼女の番だった。だからだろうか。キールは火を止めて、厨房から階段を見上げた。
「メルディ、目が覚めたか?」
「あぁ、キールおはよぉ〜! ごめんなメルディ寝坊した!」
 踊り場であせって髪を撫で付けている様が可愛らしい。彼は笑って首を振った。
「かまわないよ。早く目が覚めたから、ついでさ」
「順番は順番よ! 今からでもメルディ手伝う!」
「あんまり慌てると転ぶぞ」
「キールじゃないもん!」
 口を尖らせながら足を出しかけたメルディはしかし、言葉に反して見事なほどの勢いで階段を滑り落ちた。
「ひゃっ、きゃあああ!」



 どどどどど、ばたん!



「メルディ!? メルディ!」
 キールは顔色を変えて彼女に駆け寄った。クィッキーが高い鳴き声をあげながら二人の周りをぐるぐる回る。
「おい? ……おい? メルディ?」
 肩を揺さぶる。抱えた身体の軽さはすでに馴染み深いもののはずなのに、そのことが今はひどく心細かった。目を開いてはくれない。顔から血の気が引いていく音が聞こえるような気がした。単に気絶しているだけならいいが、もし何かあったら。
 キールは返事をあきらめてメルディの身体を抱えなおし、あちこちをさすって確かめた。外傷は特にない。頭におおきなこぶができている。こぶに触らないように気をつけながら、彼は二階の寝室へメルディを運んでいった。










 ……ぼんやりと定まらない思考の外で、数人の声がする。
「……ぶ、なのか?」
「……起きてくれないことにはなんとも言えないけど……見た感じ、問題はないわ」
「……ならいいんだが……」
 ……なに?
 ……だれ?
 聞き覚えのあるような、泣きたくなるような……
 後頭部に鈍い痛みを感じて、彼女はおもわずうめき声を漏らした。
「っ、メルディ? メルディ、気がついたか?」
 うっすら明るくなった視界いっぱいに、蒼い色が広がる。濃い蒼の髪の毛と紫がかった青い瞳の青年が顔を近づけてきていたのだ。心配そうに口許をゆがめて。紛れもない好意と優しさを宿した視線を感じた瞬間、メルディの心臓は理由もなく大きくひとつ音を立てた。
「大丈夫か? どこか痛いところは?」
 白い手がふわりと動いて、額にかかる髪を払った。気遣いにあふれた仕草。何故か胸が締めつけられるような感覚を覚えたが、彼女にはその訳はわからなかった。
「問題、ないみたいね」
 青年の後ろにいた麦わら色の髪の女性が微笑んだ。そのさらに後ろには銀髪の青年がいて、同じような表情を浮かべている。
「おおっきなたんこぶがあるけど。ああ、しばらくは触らないようにして、ちゃんと冷やしてね」
「ああ。……ありがとう」
「まったく、おどろいたぜ」
 銀髪の青年がにやにやと蒼い髪の青年を見やった。
「血相変えて飛び込んでくるから何事かと思ったら。……まあ、愛しの若妻が階段から落ちて気絶、なんてことになっちゃあ、平静でいられないか」
「ジード!」
 彼は顔を真っ赤にして背後の青年にくってかかった。目を白黒させているメルディの様子に、女性が苦笑する。
「二人とも、やめなさいよ。メルディがびっくりしてる」
 蒼い髪の青年は渋い顔でうなずいた。ただし、その指はしっかり銀髪の青年の腕をつねりあげている。
 親しげな雰囲気に、メルディは目をしばたたかせた。
「……だれ?」
 じゃれあっていた(本人たちにその気はないのだろうが、そう見える)青年たちがぴたりと動きを止める。
「……メルディ?」
 目の前の女性がおそるおそる声をかけてきた。彼女のことは、一応わかる。
 でも、わからない。
 ここはどこだろう? 窓からは独特の紫の光が差し込んでいる。ということは、アイメン?
「ここ、どこ? それから、セレナはわかる、けどふたりはだれ? ……なんでメルディ、ここにいるか」
 蒼い髪の青年がさっと顔色を変えた。青を通り越して真っ白になった彼に、ジードと呼ばれた青年は気遣わしげな視線を投げてから、メルディをみつめた。
「……冗談、じゃないよな?」
「……なにが?」
「だんなの顔も忘れちまったのか?」
 だんな。
「だんな? ……ツレアイのこと?」
 伴侶も何も、自分は今それどころではないのに。恋など、している暇は。
「クィッキー!」
 部屋の隅から青い毛玉が彼女めがけて突進してきた。
「あ、クィッキー!」
 飛びついてくるちいさな体に戸惑いもせず、こすりつけられる毛並みにくすぐったそうに笑い声をあげるメルディを、キールは気を抜けば暗転してしまいそうな意識の中必死で観察した。
 メルディは、こういうときに冗談を言うような性格ではない。自分――キールと、ジードのことを、覚えていない。けれど、クィッキーとセレナのことは覚えているらしい。
 ……と、いうことは。
「……メルディ。おまえ、今いくつだ?」
「……いくつ? 年のこと?」
「ああ」
「……メルディ、じゅうろくよ」
 その言葉を聞いた途端、彼の身体はぐらりとかしいだ。隣にいたセレナが慌てて手を差し伸べる。メルディの肩にいたクィッキーが、キールの肩に飛び移ってその頬を舐めた。
「バイバ……ぼっとしてるバアイじゃない。メルディ、ルイシカ行かなくちゃ。約束、してた。ガレノス、待ってる」
 立ち上がりかけた彼女の腕を、キールは押さえて寝台に座らせた。
「……その必要は、ない。グランドフォールなら、もう終わった」
「え」
 メルディは目を見開いた。グランドフォールの事を知っているのは、ごく少数の人間だけのはず。ガレノスが、話したのだろうか。
 目の前の青年をまじまじと見上げて、彼女はあることに気づいた。彼の肌は、白い。額にはエラーラがない。セレスティアンにあるまじき濃い髪の色。
「……どうして、インフェリアンがここにいるか」
 追い討ちをかけられて、キールは痛そうに眉をしかめたが、なにか言おうとしたふたりを手で制して大きく何度も深呼吸を繰り返した。
「……とにかく、頼むからおとなしく寝ててくれ。状況、……説明する」














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