空と心の投影機(後)









 目の前には、思いも寄らぬことを言われたとばかりに切れ長の目をいっぱいに見開いたキールがいる。
 メルディは唇を噛み締めて、もう一度ささやいた。
「……ぎゅってしてくれたら、そしたらあったかくなるな……」
 いつもならば無邪気なおねだりとして即座にかなえてもらえるはずの願い。
 けれど、今は。この状況は。
 自分が何を望んでいるのか、彼にははっきりとわかっているはずだ。
 何を馬鹿なことをと、次にはそう返ってきそうな気がして声が震えるけれど、やめない。
「あたためて」
 もう一度、はっきり言う。
 愛情を確かめるすべはこれひとつではないし、今自分は別段彼の愛情を疑っているわけではない。愛されているということをちゃんとわかっていて、けれど敢えて証を求める。
 足りないのだ。足りないのだ、優しい言葉だけでは。
 始終共にいられるのならばこれほど飢えることはないのかもしれない。しかし、望んでも得られない時間を埋めようとするならば、触れ合わずにはいられない。
 触れ合わずには、すませることはできない。





 言葉だけで満足していた昔の自分は、とっくにどこかへ行ってしまった。














 息が詰まりそうなほどの緊張感が全身を支配している。
 それが動悸なのだと気づくまでに、キールは数秒の時間を要した。
 目の前では冷えきって土気色に染まり、震えながら自らの身体を掻き抱いているメルディがいる。
 折れそうなほどに細い手足は無防備にさらされて、濡れた髪から滴り落ちるしずくが肌を伝いわずかな光を反射して輝く。
「……なん」
 初めてではない。何度も重ねて何度も眺めたはずの肢体が、けれど彼の目には冒しがたいものに見えた。
 もう一度、ささやかれる。
 かすれてよく聞こえないけれど、内容ならわかっている。
 メルディが身体に回した腕をゆっくりとほどいた。こぼれおちるやわらかなふくらみのいただきは、一指たりとも触れてはいないというのにそこだけ紅く、淡く色づいて。





 再び動いた唇が同じ懇願を吐き終わる前に、彼は夢中でその身体を抱きしめてしまっていた。
















 瞬間的に視界が流れたかと思うと、次にはメルディはキールの腕の中にすっぽり収まっていた。
 剥き出しの背中を少し硬い手のひらが何度も行き交う。
 ようやく腕を彼の首にまわした頃には、流れ込んできた熱い吐息のおかげで震えはすっかりおさまっていた。
 何度も何度も息を絡め合う。
 寒いどころか熱をもてあまし始めたメルディの頭を片手で支えて唇を重ねながら、キールはやわらかなふくらみの形を確かめるように力を込めて揉みしだいた。
 土気色の肌が次第に血色を取り戻してきたのを見計らって、先ほどからずっと待ち焦がれていたかのように手のひらの中心を刺激していたちいさな蕾に甘く噛み付く。
「あっ……」
 解放された唇からは案の定甘い喘ぎがもれたが、彼は気にも留めずにそのままそこを吸い上げた。寒さからではない震えが徐々に細い肢体を支配し始める。
 激しく上下する胸元に花びらを落としてから、キールは一度メルディの身体を解放した。
「…………は、ぁ……キー……ル?」
 どうしてやめるのと、目で問われるも応えてやろうとはせずに、逆に問いかける。
「暑いか?」
「ん……熱いよ……あつ……」
 汗のにじみ始めた額を手の甲でこすって、メルディはうなずきかけた。が、のろのろとかぶりを振る。
「……んーん。……まだ寒いな……キール……まだ、ダメ……」
 身体中を真っ赤に染めて瞳を潤ませて、焼けつくほどに熱い吐息を漏らしながら、それでも寒いと言い張るメルディに、キールは軽く笑ってもう一度覆い被さった。
「ん。そっか」


















 息が、苦しい。
 けれど、自分から求めておいてされるがままではどうにも悔しいのでなんとか意趣返しの手段はないものかと真っ白になりそうな頭で必死に考える。
 容易には思い通りに動かなくなってしまった身体を叱咤しながら、メルディはキールの一瞬の隙を突いて体勢を入れ替えた。思いっきり体重をかけても、重そうな素振りは見せない。それどころか彼女が何をするつもりなのか先を考える余裕まであるらしい。
 口には出さずとも、表情でわかる。
 メルディは少しばかりむっとして唇を尖らせ、彼の頭を抱え込むようにしてふくらみを肩に押し付けた。やわらかな感触にびくりと硬直するのを、してやったりと気を抜いた瞬間に再び押さえつけられる。
「っ!」
 仰向けで目を見開いた彼女に、蒼い瞳が意地悪そうに微笑みかける。
「やっ……キール、重……」
 弱々しく力を抜いてくれと懇願しても聞き入れてくれない。
「馬鹿だな」
 耳元で低く響いたささやきにつま先まで熱が駆け抜ける。口内に忍び込んできた柔らかいものに意識までも絡め取られかけて、メルディは足をばたつかせた。
「んっ……!」
「あんなことしたら、刺激するだけだってわからなかったか?」
 まあそれでかまわないんだろうけどな、先に誘いをかけたのはおまえなんだから。
 もう一度深い口づけを交わし、キールは濡れて薄紫色に透ける髪を指で梳いた。















 固く閉じていた花芯が徐々に熱を持ち開いてくるのを感じとって、メルディはわずかにそこに力を込めた。
 キールは相変わらず彼女の胸元に顔をうずめて無数の花弁を散らすことに余念がない。
「……キー…………ル」
「何?」
 助けを請うように呼んでも、落とされるのは口づけのみ。
「キール」
 もう一度呼ぶと、彼は不思議そうに首を傾げ――それから切なげなメルディの表情を見て取ってにやりと口の端を持ち上げた。その様子に、望んでいたことのはずなのにぎくりとひとつ心臓が跳ねた。
「…………ああ。……ここ?」
 なんの前触れもなく脚を押し開かれ、長い指が中まで押し入ってくる。
「ひゃっ、ああ!?」
 あまりにも的確に攻めたてられて、メルディは思わず大きな悲鳴をあげて身体を弾ませた。
 せき止められていた熱いものが一気に溢れ出してきて、快楽と共に彼女の意識ごとさらっていこうとする。
「や、あ、は、ぁっ…………!!」
 すでに自分が何を口走っているのかも自覚できないままに、彼女は現実への鎖を求めて広い肩にしがみついた。ばたばたと暴れる肢体は見かけからは想像できないほどの強い力でがっちりと押さえつけられ、ゆるゆると滑り込んでくる熱い塊に、身体が勝手に反応する。





 熱い。
 熱い。
 熱い――――……


















「…………少し、驚いたかな」
 並んで手を繋ぎ、寝転がって息を整えていると、ぽつりとキールがつぶやいた。
「……なにがか?」
 顔だけ動かしてそちらを見やる。彼は天井を向いたままだったが、メルディの視線に反応してうっすら頬が染まったのがわかった。
「……いや。その、いつもは……」
 求めるのは、大抵自分のほうからなのに。
 何を言おうとしたのか察してメルディの顔がぼっと火を吹く。
「うや……あぅ、だって……」
 確かにいつもはそうかもしれないが、それは彼がその気になるのが自分よりも少し早いから結果的にそうなってしまうだけの話で……
 繋いでいた手を離して胸元までたくしあげたシーツをもじもじいじっていると、突然手首をつかまれ引き寄せられた。
「うひゃ!? あ、やちょっと……も、いいよぉ……」
「ぼくはまだ物足りない」
 抵抗を試みるも、きっぱりと言い放たれた自分勝手な宣言に思わず身体の力が抜ける。キールはと言えば、散々愛撫されて紅く染まったメルディのふくらみのいただきを、飽き足らずに指先でもてあそんでいる。メルディはいちいち反応しながらも、力の入らない腕をなんとか持ち上げて彼の背中をつねった。が、狙ったほどの効果はないらしい。
 彼は平然としている。
「……キールってばぁ……」
「ほんとは嫌じゃないくせに」
 くぐもって笑いを含んだ声が胸元から聞こえた。そりゃあ嫌ではないのだが、二人して頂点に達したのはたったさっきのことなのに。それでも首筋に走る刺激には抗えずに身体を震わせると、唐突にキールは動きを止めた。
「……ん……きーる……?」
 メルディは抵抗を止めてまじまじとすぐ上の顔を見上げた。
 何やら真面目な表情をしている。
 身体を起こして、何かに注意を向けているような。
「どしたか……?」
 つられて身を起こすと、キールは舌打ちして部屋の隅に向かい扉を開けた。
 途端、ザーザーと聞こえ来る水音。
「…………お湯、止めてなかった……」
「あ〜……」
 今までも、風呂場からの水音がまったく聞こえていなかったわけではない。だが、外は雨だという認識からか雨の音だと思いこんでいた。
 メルディのいる場所からはバスルームの中は見えないが、時間的に考えれば湯はとっくにバスタブの容量を越えているだろうことは間違いなかった。
「一階で良かった……って、そうとも言えないよなあ」
 キールがガリガリと頭を掻く。シルエシカは地下にも部屋が無数にあるのだ。もしこの下の部屋に水漏れしていたら。そして、その理由を聞かれたら。
 なんと言い訳すれば良いものか。
 いや、とっくにバレてはいるのだろう。けれど改めて説明するのは気恥ずかしすぎるというもの。
 加えて尋常でない水の無駄遣いをも考えに入れると、なんだかやけに悔しい気がして。
 二人はしばらく無言で固まっていたのだった。















--END.








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