事前に告知のあったとおり、その日はすべての科の二年生が格納庫に集められていた。
分校は分校であって、トールズの本校よりも生徒は少ない。だからこそできることなんだろうけど、いつも以上に数の増えた機械類を前にすると、どうしても手狭な印象は拭えないな。
「概要は、今説明したとおりです。マニュアルにはみんなもう目を通してあるわね?」
天井の高い建物だからかそもそもの質か、拡声器なしでもアリサさんの声はよく通って聞くに苦労しなかった。
冊子に落としていた視線を上げて、今日の講師たちを見やる。
各科の担任教官が並ぶその真ん中で生徒たちの注目を浴びながら、彼女は本職の教師のように物慣れた態度で立っていた。
少し離れた位置では機材の搬入に立ち会ったんだろう、ラインフォルトの社員証を首から下げたスタッフが固まって何かの確認をしているのが見える。
リベールのZCFとラインフォルト社が共同で開発したオーバルギア、帝国版の通称はEXA。始発列車が運行するよりも前、まだ夜も明けない時間に特別車両を使って直接分校に搬入されたそうだ。
トールズは士官学校だとはいっても、卒業生の進路は実に多岐にわたっている。ただ在学中は予備役のような扱いを受けることもままあるから、戦闘訓練に加えて災害救助を学ぶことも必須だ。今回はその一環として、機甲兵に加えてEXAも導入されることになったんだとか。
オーバルギアといえばティータが一番詳しいのは、みんな知ってのとおり、なんだけどね。EXAは最終的に機械に明るくない人間でもある程度容易に扱えるようにするのが目標だから、ということで主計科以外の生徒も余さず集められたわけだ。
今は主に軍隊や軍学校に少数おろしているだけだけれど、いずれは一般のNPO法人や各自治体にも販路を拡大していきたいらしい。
分校に納品されたのは、今回は三機だけ。一応試作品ではなくて製品化されているもの。僕ら特務科と戦術科、主計科がそれぞれ混合でグループ分けされて、主計科の生徒に主導してもらいながら基本的な操作と整備を教わるというのが目的だった。
「とりあえずは全員触ってみてください。何かわからないことがあれば、私かティータさん、トワ教官に質問すること。マニュアルに載っていることでもかまわないから、疑問があればなるべく潰しておくようにお願いするわ。それと、扱いづらい点があったらその報告も」
何はともあれ、そう簡単に壊れるものでもないから、大丈夫よ。
アリサさんはそう締めくくって、悪戯っぽく片目を瞑ってみせた。茶目っ気のある一言に生徒たちの間から笑い声があがる。同じグループになったパブロが、さっそくマニュアルに大きく折り目をつけて脚立の上に置いた。
「よっしゃー! そんじゃちゃっちゃと始めたるでぇ! あ、ゆっくりやるから手許よう見とけよお前ら」
わくわくと目を輝かせて、まるで新しいおもちゃをもらった子どもみたいだ。まあ実際そんな気分なんだろう。
時間はたくさん配分されているから、まずは彼のお手本を見せてもらうのが一番いいのかもしれない。
「あ、待って。そこのレバー。今どこ触ったら出てきたの?」
ユウナがパブロの肩越しに身を乗り出した。
「ん? ああ、スマン見えにくかったか。んじゃもういっぺん……そうやな、ルイゼ頼むわ」
「はいはーい。これはね……ここを、こう」
「ふむ……マニュアルがあるとはいっても、さすが主計科の人は呑み込みが早いですね」
感心したようなマヤの言葉にパブロもルイゼも得意げに笑う。確かにすごいなとは、僕も素直に思った。
このマニュアルは一般人向けに図解もかなりわかりやすく書かれているし、同じようにEXAそのものも扱いやすい造りになっている。それ自体は僕にもわかる。でも、紙の上で考えるのと実際に触るのとではやっぱり違う。僕らなら考えながらひとつひとつ確認していかなきゃならないところを、普段から機器類に触り慣れている主計科は勘ですいすい作業を進められるんだな。そのぶんついていくのは大変だけど、頼もしいことに違いはない。
そこまで考えて、ふと後ろのほうで黙ったままの友人に気がついた。
「って、シドニー。君もちゃんと見ておかないと後で困るぞ」
「……おー」
あからさまな生返事。
ちらちらと視線をやっている背後には、遠目に教官たちとティータ、それからアリサさんの姿がある。みんな生徒たちの様子を最初から最後まで見守るつもりでいるみたいだ。まだ起動はしていないからいきなり動き出すことはないだろうけど、機械いじりは予想もつかない危険があったりするから。そちらのほうも用心しているのかもしれない。見られているのが落ち着かないんだろうか。
でもこの科目なら、シドニーが気後れするような要素はそれほどないはずだけどね。彼の得物はライフルだし、手先もけっこう器用だ。機械類も特に苦手じゃなかったように記憶してる。……やけにため息をついて、いったい何なんだろうか。
「はー……」
「シドニー? 何か気になることでもあるのかい?」
グループの中に集中できない人員がいるのはあまり良くない。手っ取り早く解決に向かえばと思って、僕は直球で尋ねてみた。シドニーも慣れたものだ、基本的に頭に浮かんだことは隠さず言う奴だから。もったいぶらず素直に口を開いた――までは、よかったのだが。
「……なんでみんな作業着なんだよ……」
出てきた内容はまったく予想していないものだった。
「は?」
胡乱げな僕の目つきに気づいているのかいないのか。シドニーは勢いでそのままぶちまける。大きくはない、だけど少なくともここにいる僕らには充分聞こえるだけの声量で、続きをぶちまける。
「なんでみんな作業着なんだよ〜……いやわかる、わかるぜ? オイルで制服汚れるし? 金属部品はたくさんあるし? 素手で触るのも危ないのはわかる。でもなんでみんな作業着なんだよ……ちょっとムフフな角度を期待することもできないのかよ!」
「いや、何を言ってるんだ君は……」
どうして作業着なのかなんて、自分でわかってるんじゃないか。口に出してるじゃないか、もうツッコミしか出てこないよ。
案の定、マヤは凍りそうなくらいに冷たい目でシドニーを見てる。ユウナとルイゼも「うわあ……」「キッツイね〜」とかなんとか、ひそひそやっている。パブロはたぶん聞いていない。EXAに夢中だ。
「せめてアリサさんくらいはさ……」
ああ、そこでつながるのか。教官たちのほうを見ていたのはそういう訳だったんだな。でも、アリサさんこそ質問されれば何度でも実演を辞さない気概で臨んでいるのだろうから、それはもちろん最適な服装で来るに決まっている。
彼女だって遠くルーレから鉄道に揺られてやってきて、段取りの多くを整えたんだ。きっと疲れているだろうに、気を張って凛とした態度でいる。それもこれも、仕事とはいえ、要は僕ら生徒のため。なのにそういう目で見てしまうのは――良くないだろう。
同輩の反応はどこ吹く風、シドニーは大げさに肩を落とした。
「スーツ姿で来てくれても良かったんじゃねっていう……そんであわよくば」
「あわよくば、なんだって?」
まるで地の底から響いてきたみたいな低い低い声。周囲の温度が一気に下がったような気がした。
いつの間にここまで来ていたんだろう、リィン教官が笑顔でシドニーの背後に立って、肩に手を置いている。偶然とはいえ正面から相対する形になってしまった僕は、思わず身震いした。
間違いなく笑顔だ。でも、目が笑ってない。
以前アッシュが教官の妹さんをどうこう、なんて軽口を叩いたときも、同じような表情をしていたっけ。
「……り、リィン教官……?」
ぎぎぎ、と音がしそうな動きでシドニーが振り返ろうとする。――して、できなかったのか冷や汗を垂らしながら喉を上下させた。
あれは相当力が入っている。相当痛い。痛いだけじゃない、指先が絶妙に筋に食い込んでいるから、首と腕を回すこともできないはずだ。
「……シドニー。君の今の発言は、紛うことなきセクハラだ」
「は、はい……」
「女性を見て魅力的に感じること自体は別にいい。君自身の感受性を否定しようとまでは俺も思わない、が」
「す……すんませんすんませんすんません! もう二度とアリサさんのこと変な目で見ないって誓います! だから、ちょ、そろそろ痛い……!」
リィン教官ははあ、とため息をついて手を離した。眉間を揉んで、たぶん、寄りそうになってた皺を戻した。
「アリサに限った話じゃないだろう……友人の気持ちもちゃんと考えること。あちらは聞こえなかったようだからまだマシだが、ほら。目の前にいる人たちにちゃんとフォローしておきなさい」
「あ……」
教官はそれ以上何も言わなかった。そのまま離れていく。アリサさんやハーシェル教官が不思議そうな目でこっちを眺めていたけど、何でもないよと言わんばかりに手を振っていた。
私情が多分に含まれていたのは確か。でもそれだけで終わらないところはやっぱり“先生”なんだよな。そう、シドニーが気を遣うべきなのは、今ここにいる子たちのほうだ。
ユウナたちはどう反応したものやらわからない、という雰囲気で顔を見合わせている。
まあ男の僕でさえ、無分別なセクハラに対してはちょっとどうなんだって思うことがあるから。女の子にしてみれば、気分のいいものじゃないに決まってる。人によっては本当に深刻なトラウマになることもあるし、そもそもの話、失礼だ。シドニーももう少し思慮深くなってくれたらいいんだけどね。
それこそ口にさえ出さなければいいんだろうに。モテたいと常日頃からぼやいている割には、そこのところをどうにも理解していない節がある。
ただ、非を認めてしまえばシドニーは素直だ。
「えっと……ごめんな、悪かったよ」
きっぱりと言いきって、片手で頭を掻く。本人もまずったとは思っているんだろうな、少し目が泳いでいるから。ただ、反省の気持ち自体は充分伝わったみたいで。
「んーまあ、シドニー君だしね〜」
「この場はリィン教官に免じて許してさしあげます」
「あんまりそういうことばっかり言うもんじゃないわよ?」
女子三人の、それぞれらしい言葉でその場は収束となった。シドニーも根はいい奴だ。みんなそれはわかっているんだろうし。
それに今は講義の真っ最中だ、時間は限られている。いつまでも引きずっているわけにはいかない。
つい今までの気まずさが嘘のように、僕らはまた固まって作業を再開したのだった。
巻き込まれ形+ツッコミ役に回らざるを得ないクルト通常運転。