結局その日の午後は、終業の鐘が鳴るまでみんな格納庫に籠りっぱなしだった。
あたしの武器はガンブレイカーだから、その整備で普段から機械部品に触ることはけっこう慣れてる。でもさすがにEXAは大きさと複雑さが比べ物にならなくて、ルイゼたちに詳しく説明してもらってアリサさんにまで色々お願いしたけど、あたし自身全部理解できたかっていうと正直自信がない。また後でクルト君かアルにでも復習を一緒させてもらおう。
そうそう、整備やら結晶回路の確認やらでずっとうずくまった姿勢でいたから、腕とか背中もなんだか痛いんだよね。いっそ思いっきり身体を動かしたほうがいいのかもしれないんだけど。思ってたよりオイルの匂いが染みついちゃってて、何かする前にお風呂にも入っておきたい。
アルとミュゼ、クルト君とアッシュと。そんな話をしながら寮に向かっていたときだった。
「……!」
すぐ隣にいたクルト君が、一瞬肩をびくっとさせた。
「え、なに?」
あたしたちが歩いてたのは、綺麗にお掃除された歩道だ。舗装が多少でこぼこしてる所はあるのかもしれないけど、クルト君が躓くような目立った段差はないはず。
ううん違う。足元が原因でバランスを崩したのかと思ったら、顔は上のほうを向いている。何かを見てびっくりしたみたい。校舎の上のほう――ああ、屋上の。
「上……? って、」
たぶん次の瞬間に固まったのは、あたしだけじゃなかったと思う。
屋上の柵のそば、遠目に判別できたのは、よく見知った二人の姿だった。
担任のリィン教官と、特別講義に来てくれてたアリサさん。いや、それはいいのよ。二人一緒にいること自体はいいの、でも待って、顔近……待って、キスしてんの⁉
アリサさんはものすごく慌ててるみたいで、背中と後頭部をがっちり固定されてるのにあたふた腕を動かしてる。肩を押したり胸を叩いたり、あれって抵抗してるんじゃ……いやまあ、するわよね場所が場所だし。
でも教官のほうはそんなこと気にもしてないみたいだった。ぐいぐいアリサさんの腰を抱き寄せて、顔を離す素振りもない。だから長いってば、え、あれって息継ぎできるもんなの? 酸欠にならない?
本人たちよりあたしのほうが酸素が足りなくなりそうだった。口が自分の意思じゃなくぱくぱく閉じたり開いたりする。唖然とはこのことよ、ほんと何やってんのよあの人。
ふらっとアリサさんの身体が傾いた。
危ない、と叫びだしかけて慌てて口を噤む。あたしが心配するまでもなく、教官はアリサさんの肩を支えて、いかにも慣れてますって雰囲気でベンチに座らせた。また顔を近づけて――ちょっと待たんかーい! ……あ、今度はキスするわけじゃなかったのね。ひらりと手をひらめかせて、そのままあたしたちの視界から、というよりアリサさんの前から消えた。
たぶんあの二人、気づいてない。
教官ってなんだかんだ言って、かっこつけだもの。大人ぶって取り繕いたがるとこあるし、生徒が見てるって知ってたらさすがにあそこまで熱烈なラブシーンを繰り広げたりはしないだろう。
だろう、けど。
「…………あんっ……の、淫行教師~! アリサさんに何してくれちゃってんのよっ!」
アリサさんは屋上にまだいる。聞こえたらまずい。それはわかってたから、一応声は抑えめにして、あたしはその場で力いっぱい地団太を踏んだ。
「なんといったらいいのか……いや、本当なんて言えばいいのか」
「あらあらあら、まあまあうふふふ。教官たら情熱的でらっしゃいますね」
けっこう狼狽えてるっぽいクルト君、あくまで楽しそうなミュゼ。
「想定の範囲内ではあります。不埒なことに違いはありませんが」
「いや、自分の女と何しようがっつーかナニしようが勝手だろ。いい加減ネンネは卒業しろってんだよ」
ちょっと冷たい声ながら冷静なアルに、被せるようにアッシュがぼやいて、なんだか頭がどかん、と爆発したみたいな感覚になった。
「問題は行為じゃないわよ、場所よ場所! ここは学校でしょ、あの人は教職でしょ。生徒にセクハラとか言う前に自分の行動を反省しなさいっていうのよ!」
「……まあ、それは確かに」
クルト君が咳払いして肯定してくれた。うう、良心がここに居る……
あたしだって別に、教官とアリサさんが仲良しなこと自体は嫌じゃない。良かったなって思ってる。
「そうよ、仲がいいのはいいの。むしろ仲良くしてくれなきゃ悲しいわよ、でもそれとこれとは別っていうかラブシーン見せつけられるのは勘弁してほしいんだってば! ほらあるじゃない、両親には仲良しでいてほしいけど目の前でいちゃつかれると目のやり場に困る的なアレよアレ、親じゃないけど先輩で指導者なわけだし兄姉みたいなものだと思ったらやっぱり一緒よ、っていうかだからアリサさんに何してくれてんのよ腹たつ!」
一息に言いきった。たぶん言いたいことはひとまず言いきった。全部じゃ、ないけど。
アルが小動物みたいに首を傾げる。
「ユウナさんの言い分には、おおむね同意しますが。なんだか変なやきもちが入っていませんか?」
だってあたし、美人好きだもん!
半分くらい開き直った気分で胸を張りかけて、やめた。そんなことはどうでもいいの。アンゼリカさんとかあのシャーリィみたいに、具体的に何かしたいわけでもない。
「うふ、つまり、複雑な乙女心というやつですね」
「乙女っていうかね……」
ふっと身体の力が抜けた。
アルやミュゼの言いたいことはわかってる。教官とアリサさん、どちらかに対してだけじゃない。きっとふたり、両方に対して。確かに幼いヤキモチが含まれてる部分ももしかしたらあるのかもしれない。そんなふうに思える程度にはあたしは子どもだ。
ううん、認めてしまえるなら逆に子どもじゃないのかな? まあ今はいいや。
「……だって、心配だったの」
次に出た声は、自分でも想像していたより弱々しいものだった。
「二人とも、すごく大変だったじゃない。家族があんなことになってて、国とか世界のことまで考えなきゃいけなくて。それどころか責任まで、知らない間に勝手に押しつけられたみたいになって。そんなときに好きな人と気まずいなんてどんなにつらいだろうって……心配だったの」
喧嘩したわけじゃないっていうのは、見ててすぐわかった。
とにかくやり取りにどこか皮一枚挟んだみたいな、ぎこちなさ。近づきたいけど近づいちゃいけない、近づいちゃいけないけど離れすぎてもいけない。
どのくらいがちょうどいいんだろうって二人ともで探りあって、お互い気を遣いあって優しくしあってるのに、何かが噛みあってなさそうな、そんな感じ。
「ユウナ……」
クルト君が軽くあたしの背中を撫でてくれた。相当落ち込んで見えたんだろう。確かにあの頃のことを思い出すと心臓がぎゅっと掴まれたような、変に息苦しい気持ちになる。
クルト君だけじゃない、アルもミュゼもアッシュも、あたしたちだけじゃなくてみんなが心配してた。だけど踏み込みはしなかった。どうしてって、何ができるのかわからなかったからだ。それに先輩たちに止められたのもある。本当に深刻そうなら、まずは自分たちが行動するからって。
そう、心配だったのよ。でも先輩たちが言うならそのほうが正しい対応に決まってる。どうにかしてあげたい気持ちだけはあったけど、手をこまねいているしかなかった。
「…………ほんっとー、に、心配してたのよ、あたしは!」
落ち込んだ気分を思い出した次に湧いてきたのは、八つ当たりじみた感情だ。
ぎゅっとこぶしを握って、一度強く振る。
「そうよ、仲直りしてくれたときはやっぱり嬉しかったし、良かったなって思った。でも! よく考えたら! 実は十日足らずでまたヨリを戻したっていう! そんでもってあの浮かれ顔!」
寄り添ってくれていたクラスメイトたちがびっくり顔で半歩引いた。
「え、あ? まあ、半月くらいで事態が急速に動いたからね……?」
クルト君が救いを求めるようにアッシュを見る。あ、今気がついた。アッシュのほうはさっきから一貫してずっと呆れ顔だわ。腹たつ。
「なんだぁ、心配してソンしたって話か?」
「損したとまでは言ってないわ! ただ先輩たちが様子見しようって言ったほんとのとこの理由が、心っ底、身に沁みたのよ、喜ばしいけどバカバカしい……! 余計な寄り道してないで最初っから素直にイチャついてなさいってのよあのバカップル!」
「あら、言っちゃいましたね」
ミュゼが笑った。
「ユウナさん、どうどう」
アルにまで宥められて、っていうかあたし一人で興奮してた……わけじゃ、ないと思うんだけどな。いや興奮してたのはあたしだけか。
「そうですね、ユウナさんの気持ちは私にもわかります。とりあえず指摘してみますか? 生徒の目に触れる可能性のある場所で不適切な行為をするべきではないと」
アルが口許にちいさな拳を当てて、大真面目に考え始めたからあたしは慌てて両手を振った。
「……あ、いや、それはやめといてあげよう? 居たたまれないだろうし……」
「……ユウナ。君、なんだかんだでやっぱりチョロいよね」
「ああもう、うっさいうっさいうーるーさーいー!」
声の大きさにだけは一応気を遣いつつ、でも思うがままにわめいてみる。暴れるつもりは、べつになかったんだけど。あたしの両腕にそれぞれアルとミュゼがぶら下がって、動きを封じようとしてきた。待って、あたしもしかして暴れ馬的な扱いを受けてるのかな……それはさすがに失礼だと思わない?
ちょっと八つ当たりしてみたいだけで、どこかに走って行ったりするとか、そういうのは考えてないから。普通に寮に戻るつもりでいるから。
「どうせお前だってわかってんだろ?」
アッシュが鼻を鳴らして肩をすくめる。ひたとあたしに視線を固定して、馬鹿にしてるんだか説得したいんだかわからない表情と声色で。
「バカップルに首突っ込んだトコで、無駄だ。無駄」
どうにもひっくり返しようのない、古今東西昔っから言われ続けてきたんだろう真実を、きっぱり宣言した。
「良かったなあ」はもちろん本音だけど「バカバカしい」のもまた本音。なユウナ。