手探りで(3)
「キール、そろそろ行かなくていいのか?」
机に向かって計算式とにらめっこをしていたキールは、投げかけられた声にふと顔を上げた。
「ゾシモス台長……」
ゾシモスは灯りの点された手燭を持っていた。その光が生み出した影に、キールはすでに室内が暗くなっていることに気づいて帳面を閉じる。
「約束していたのだろう。あれたちが待っているのではないか」
「あ、はい」
彼はがたがたと立ち上がって紙束や本を手早くまとめた。麻袋の鞄にそれらを放り込んで、口紐を絞る。
そう、これまでの話し合いでこちらでの研究成果はほぼまとまった。明日はセレスティアに発つことにしているから、久々に向こうの人々に会いたいとやってきたリッドとファラも一緒に、四人で市場をぶらついて夕食をとる約束をしている。
三人とも時間にうるさい性質ではないが、約束した以上それをふいにするのは彼の望むところではなかった。
まあ、騒がしくはなるだろうけどそれなりに楽しみだったし。
読書や勉強以外の楽しみを見つけられるなどと、これっぽっちも思っていなかった。我ながら驚きだ。
手燭を掲げて手を振るゾシモスに会釈して、キールは早足で階段を下りた。
外に出ると、はや陽は沈み、空には星々が瞬き始めていた。そこここにあるガス灯に、インフェリア公務員の制服を着た人たちが、長い棒の先についた蝋燭でもって火を点してまわっている。
通りの向こうの暗がりから見慣れた暗赤色と暗緑色の頭髪がゆらゆらと近づいてきた。少し肌寒くなってきたためだろう、二人ともいつもの服の上に薄手の外套をひっかけている。キールの姿に先に気づいたのはファラだった。
「あ、キール! ちゃんと来たね、えらいえらい」
相変わらずのお姉さん口調で、手をのばして頭をなでてこようとしたのでキールはひょいと一歩後ずさりしてその手をかわした。ファラに弟扱いされるのは構わないが、子ども扱いされるのは納得がいかない。どこがどう違うんだと言われそうだが、少なくとも彼の中では明確な違いがある。
「なんでよけるのお?」
ちぇーっと口を尖らせるファラに当たり前だろが、と突っ込んでから、リッドはキールの背後を覗き込もうと背伸びして変な顔をした。彼の背中にメルディがくっついているものだとばかり思っていたのに、見当たらなかったからだ。
「あれ? メルディは?」
「メルディならまだ来てないが……」
ぼくは今までずっと計算してたし。
そういうと、リッドとファラは顔を見合わせた。
「まだ城にいるんじゃないか?」
「……いや。ここに来る前に城によってきた。日が暮れる前に出かけたって聞いたから、オレらてっきり……」
明々と街灯の点された広場で、三人は押し黙った。今日の夕食の約束を一番楽しみにしていたのは他ならぬメルディだ。すでに何度も訪れたことのあるこの街で、彼女が道に迷うとも思えない。
だとすれば考えられることは限られてくる。
キールが口を動かそうとしたとき、広場の端から高い声が飛んできた。
「キール!」
リッドとファラが大きく反応してばっと振り返る。その動作にびっくりしたのか、一瞬立ちすくんだその人影をみとめて、キールは肩の力を抜いた。
「……アニス?」
「知り合いか?」
剣にかけていた手を離してリッドが目だけを彼に向けて問うた。
「大学の研究室仲間だよ。……あれ、ひとりか? サンクと一緒に休憩に行ったんじゃなかったっけ……」
「メルディは?」
いつもの彼女の雰囲気とは遠くかけ離れた切羽詰った声に、キールは面食らいながらも首を振った。
「いや、それが……」
「わからないのね?」
畳み掛けるような質問にうなずく。
「じゃあやっぱりあれはメルディだったのね……」
「見たのか!?」
たいていの人間ならおびえてしまうほど迫力のあるリッドの叫びに、アニスは物怖じもせず彼を見やった。
「ええ。なんだかものすごく体格のいい男の人に担がれてたわよ。……荷物みたいに。変だと思ったから、知らせに来たの。サンクはあいつの後を尾けてったから、よっぽど遠いところじゃなければ場所を突き止めて市門のところで待ってるはず」
「一人で尾けてったの?」
ファラが不安そうに手を組んだ。
「心配要らない。光晶霊学部の学生はほぼ例外なく晶霊術士なんだ。アニスもそう。サンクはクレーメルケイジを持っていっただろう?」
「もちろん」
不敵な笑みを浮かべるアニスをリッドとファラは意外な思いで眺めた。どこからどう見ても非力な娘にしか見えない彼女が、大破壊を引き起こす晶霊術を使いこなすというのだから。もっとも、その点から言えばキールとメルディもそうなのだけれど。
「っと、それよりメルディだ! 市門に急ぐぜ!」
「うん!」
駆け出した二人に続こうとして、キールはアニスを振り返った。
「アニスは王都警備に伝えてくれ。ただし、おおごとにならないように」
「了解! ちゃんとメルディを助けてあげてよ、王子さま!」
からかい混じりの声に足がもつれて転びそうになる。状況がわかっているのだろうか。
たぶんわかってはいるのだろう。だがいたずらに深刻になっても仕方がないのもまた事実だ。
キールは気を取り直して全速力でリッドとファラの背中を追いかけていった。
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サンクとアニスの出番終了です。…見せ場なかったな。はっは。
王都警備ってのは私たちの感覚でいう警察みたいなもんです。
昔は平民なんかの事情ではもちろん動いてくれなかったんだけど、アレンデ姫の意向により変わったと。
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