きっと、つたえきれない(3)





 カーテンは半開き。時刻は午後三時。
 闇の片鱗すら感じられないうららかな天候のもと、もちろん室内灯などついてはおらず。
 南側に面しているといえども採光の充分でない部屋では、どうにも楽しい話題が出てきてくれそうにない。
 しばらく居心地悪そうにもぞもぞしていた珠美は、思いきって手を伸ばし、カーテンを端まで引き開けた。
 そうしてから傍らでぼうっとしている友人の様子をうかがう。何か思うところがあって暗くしていたわけでもないらしく、部屋の主――深悠は、急にあふれた陽光に反応することもなく、ベッドの上で空色のクッションを抱えていた。
 沈黙が苦なのではない。いつもいつも表情豊かなはずの彼女なのに、珍しく何を考えているのかをまったく読み取れないということが、なんとも落ちつかない気持ちにさせてくれるのだ。
「深悠ちゃん、あのね……」
「珠ちゃん」
 恐る恐る口に出した呼びかけは、無機質な声であっさり遮られた。
「な、なに?」
「携帯鳴ってる。珠ちゃんのでしょ」
「あ、わ、ほんと」
 深悠にばかり気をとられていたために流れる旋律が聞こえなかった。珠美は慌てて鞄を引き寄せると、中を探った。慌てているせいでストラップに指先がうまくひっかからない。焦れながらもなんとかひっぱりだした携帯電話は飽きず鳴り続けていて、彼女はほっと息をついて通話ボタンを押した。
 途端、ものすごい音量の怒鳴り声が飛び込んでくる。
「なんだってのよあのヒクツ野郎――――ッ!!」
 ……耳が拒否反応を示したような気がした。
 思わず電話を取り落としそうになる。着信画面を見ていなかったために心構えができていなかったのだ。きーん、と響く耳鳴りの痛みにわずかに顔をしかめながら、少し距離をとって応じる。
「奈津実ちゃん?」
「おうよッ!」
 一声叫んで満足してくれるかと思ったのに、やはり音量は下がらなかった。どうやら未だ興奮覚めやらぬ状態らしい。まだ学校にいるのだろうか。ざわめきが伝わってこないことから人気の少ない場所を選んで電話をかけてきているのだろうことは知れたが、それにしてもここまでとは。離れていても会話の内容が洩れてしまうのではなかろうか。
「な、奈津実ちゃん、ちょっと落ちついて……」
「ムリ!」
 きっぱり言い切られて肩が落ちる。にぎやかであればこその奈津実で、彼女のそういうところはとても好きだと思うのだけれど。ずっと高音でがなりたてられてはたまらない。
「……無理でも落ちついて」
「……………………はい」
 たっぷり五秒ほどおいた後に、やけに殊勝な返答があった。満足感とともにかすかな疑問も覚えて珠美は首をかしげたが、あえて追求はしなかった。
 代わりに用件を尋ねることにする。もっとも、二人は今朝あらかじめおちあったうえでそれぞれ何をやるかを相談してから来たのだから、今更確認すべきことでもないのだが。
「それで、どうしたの?」
「あああそれよそれー! 葉月! さっきちょこっと話してきたんだけどさあ」
 うん、と相槌を打って、珠美はちらりと背後を顧みた。深悠は相変わらず気のなさそうな顔でクッションのレースをいじっている。聞こえているのかいないのか、こちらに注意を向けているのかどうかすらもわからない。彼女は眉をひそめて電話の向こうの相手にささやき返した。
「どんな感じ? やっぱり機嫌悪かったの?」
「悪いっつうか……」
 一度空気を飲み込むような間があいてから、ついでさらさらと音がした。おそらく首を振ったのだろう。
「悪いっていうか?」
「なんていうか、普段から曲がってる性根がさらに方向見失ってぐねぐね」
「そ、そうなんだ……」
 さほど間違いはないのだろうが、それでも相変わらず歯に衣着せぬ物言いだ。苦笑しかけてふと気づく。
 振り返る。
 深悠は今度は寝台にだらしなく寝そべっていた。さっきまでいじっていたクッションは壁際に放り出されて、次の興味の対象はベッドカバーに移ったらしい。
 軽く首をひねると、珠美は膝立ちで少し窓のほうに移動してから小声で会話を再開した。
「えっとね、さっきの話だけど……具体的にはどんなふうだったの?」
「それより深悠は? 今深悠んち?」
「それは……後でね。今は」
 彼女は深くうつむいた。結っていない髪がこぼれ落ちて、顔を覆う。黒い房の間から気づかれぬよう確認した横顔は、確かにこちらを意識しているように見えた。
 視線はくれていない。けれど、聞き耳だけは間違いなくたてている。珠美が訪れた理由を正確に把握しているからこそできることだろうが、そんなに気になるならさっさと会いに行って仲直りなりなんなりしてしまえばいいものを。普段は素直なくせに、妙なところで意地っ張りなのは二人の共通の性質だ。
 他人が口出しするような類の問題ではない。自分を含めた友人連がおせっかいなのもわかっている。しかし、動けばすぐにでも解決するのにと思うとなにやらため息を禁じえないものがある。
 珠美はごくちいさく息をつくと、少し声のトーンをあげて言い放った。
「ほんと、イヤだよね」
「……珠美?」
 いぶかしげな奈津実の呼びかけはあえて無視する。
「顔はきれいだし、なんでもできるし、すごいなとは思うけど。なに考えてるかわからないし、すぐ人のことにらむし、こっちの話ちっとも聞いてくれないし」
「しかもねじまがってるし?」
 瞬時にその意図を理解したらしい返答は少しばかり面白がっているような色を帯びていた。くす、と笑みが洩れる。
「そう、ねじまがってる。あそこまでひねくれてる人も珍しいよね」
 ぴり、とささくれだったものが走ったのがわかった。
「いっつも自分には関係ないってそればっかりだし。人の気持ちも考えてくれないし」
 背を向けてはいても、気配は感じられる。呼吸も荒くなってきただろうか。だんだんだんだん、乱れてくる感情。
 ――もうひとおし。珠美は電話機を両手で握りこんだ。
「ホント、イヤになっちゃうよね」
「ちがうもんっ!」
 よどみなく続いていた葉月珪の悪口は、始まったときと同じく唐突に終わった。






「ちがうもんっ! そんなの絶対、ちがうもん!」
 深悠は熱くなってきた目許に手をやりたいのを必死でこらえて、力いっぱい叫んだ。
 身体が震える。握りしめたこぶしも震える。白く霞がかったようになってきた視界は涙のせいだろうか、ゆらゆら揺れてすぐ近くにいるはずの珠美の顔もまともに見えない。
「ちがうもん、珪くんはそんなんじゃないもん……優しくて、すごくやさしくて、じぶんのことより、ほかのひとのことばっかり、いつも、かっ、かんがえて……ふぇっ……」
 下を向いた拍子に涙がぱらぱらと膝に散った。
 やめて。やめて、やめて。
 悲しいのか、悔しいのか。それとも怒っているのだろうか。自分が今、どういった種類の感情に支配されているのか、よくわからない。
 ただ、大好きな友達が大好きなひとのことを悪し様に言う光景だけは、耐えられなかった。
 一度想いが堰をきってしまえば、後は制御がきかなくなる。なにもかもがめちゃくちゃに乱れたまま一歩踏み出そうとして、彼女はがくりとくずおれた。浮遊感は一瞬で、すぐさまあたたかなものに受け止められる。
 差し伸べられた腕の中で、深悠は何度か瞬きを繰り返した。
「………………珠ちゃん」
「び、びっくりしちゃった」
 彼女は目を見開いた。
 開口一番、耳に入ってきたのは今の今まで毒を吐いていたなど到底信じられないほど悪びれのない口調だったから。信じられない思いで至近距離にある珠美の顔を見上げる。笑顔を浮かべたらしいことは気配でわかったが、未だ曇ったままの目でははっきり見えない。幻のように見えたそれを確信に変えたくて、深悠はごしごしと袖で顔を拭った。
 その先にあったのは、予想を裏切らない眺めで。
「……珠ちゃん」
「深悠ちゃん、ベッドの端っこでいきなり立ったりしたらあぶないよ?」
 幼い子に言い含めるように頭をなでられる。涙がおさまって徐々に明瞭になってゆく視界の中で、珠美は何故かしてやったりとでもいいたげな表情を浮かべていた。
 はっとして腕をつかむ。
「だっ……! だ、だ、だましたの!?」
「そういうことになるのかなあ」
 曖昧な物言いだけれど、彼女の瞳に浮かぶ光を見れば自分の直感が正しいことはわかった。何度か口をぱくぱくさせてから、深悠は一気に脱力して珠美の肩に抱きついた。
「……ひどいよ」
「そうかな?」
 ぽんぽんと背中を叩かれる。
「珠ちゃん、ほんとは珪くんのこと嫌いだったのかなって……思っちゃった」
 肺が空っぽになるほど深く、息を吐き出す。
 即座にそんなわけないじゃない、と返ってきて、彼女は苦い笑みを浮かべた。
 確かに、不自然ではあったのだ。冷静であれば、あの一連の応酬の始まり自体がとってつけたようなものだったことはすぐに理解できたはず。けれど、ぐちゃぐちゃになっていた思考回路ではそんな簡単な答えさえ導きだせなかった。ただ自分の態度があまりにあからさまだったから、気を使って今まで言い出せなかったのだろうかとさえ勘ぐってしまった。
「わたしたち、ちゃんと葉月くん好きだよ?」
「……うん」
 優しい声にうなずく。
「最初はね、やっぱりちょっと怖かった。でも今は違うよ。奈津実ちゃんだって、他の人だって同じだよ。友達だって思うから、今まで一緒にいたんだよ」
 深悠ちゃんは葉月くんが好きでしょう?
 からかいの混じらない、純粋な問いかけだった。深悠は一瞬押し黙って目の前の友人を見返したが――結局は首を縦に振った。
 誘導されるようなかたちで再確認してしまったけれど、あの日彼にぶつけた言葉はすべて衝動ゆえのものだ。
 あのとき。
 どうして理解してくれないのとそればかり考えていた。心を支配していたのはただその一点のみで、珪の心情を慮ることはしなかった。彼は基本的に正直な人だけれど、ときどき言葉とこころがひどくかけ離れていることがある。頭に血がのぼってその可能性にも思い至らなかった。自分の気持ちしか見えていなかったから、だから受けた傷をそのまま相手にも返そうとした。
「だいきらいなんて、うそだったの」
「わかってるよ」
 無造作に手を伸ばして、ベッドカバーの端を引き寄せる。昨夜流した涙が未だ乾かずに、それは冷たいままだった。かまわず目許に押し当てる。
「……でも、珪くんはほんとだとおもったかもしれない」
「うん、そうだね」
 こらえきれずに嗚咽が洩れた。抱きしめてくれる手が嬉しい。すがるものがあることが、ありがたい。
 あんなこと、言うつもりはなかった。思ったこともなかった。ただただ好きで、大好きで、紡ぐ言葉も態度もすべてそれに基づいたもののはずだったのに。
 ひゅうひゅうと不規則な呼吸の合間から、だけど、と珠美がつぶやくのが聞こえた。
「手遅れだなんて思ってないでしょう?」
 いつもふわふわやわらかい笑みを絶やすことのない友人の。力強い瞳に後押しされるように、深悠は黙ってうなずいた。









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珠美さんといえば独特の間延びした口調が特徴だと思うのですが。
こういう場面でそういう気の抜けたしゃべりかたをする性格だとも思えず。
…結局深悠さんと書き分けできなかったヨー…
ゲーム中でも珠ちゃんと主人公ちゃんの口調似てるよなーとか思ってました、はい。

…電話はたぶん深悠が叫びだしたあたりで奈津実ちゃんが切ったのでしょう。たぶん。