偶然と必然(7)







 ジードとセレナと一緒に港までキールを見送りに行って、後でまた会う約束をして家の前で別れた。
 身体は少しけだるい気もするが、これくらいなら家事の妨げにもならない。病は気から、というのは本当のことなのだと身にしみて思う。鼻歌を歌いながら洗濯物を干していると、隣家の窓からジードが顔を覗かせた。
「よ、メルディ! 機嫌いいじゃん」
「ジード。セレナは?」
「セレナも洗濯中だよ。俺の担当は掃除だったんだけど、もう終わっちまったからヒマでヒマで」
 ジードはふー、とため息をついて手で顔をぱたぱたあおいだ。よく見るとうっすら汗をかいている。よほど気合を入れたらしい。セレナとの取りとめもないおしゃべりの中で、彼がなかなかの綺麗好きだということはメルディも知っていた。
「キールの用事って何日かかかるんだよな?」
「そうよ〜。できるだけ早く帰ってくるとは言ってたけどな」
「やけにあっさりしてんな」
 言われた台詞に含みを感じる。怪訝そうに見返すと、ジードはニヤニヤと笑っていた。
「なにか?」
 ぱんぱんとシャツを叩いてしわをのばす。
「んー? いや別に。ただ、昨日なんかあったのかと思ってさ」
 途端にメルディの顔はボッ! と火を吹いた。手から今しがた叩いていたシャツがはらりと落ちたが、そのことに気づく余裕はもちろん、ない。
「な、ななな、なに!? なにかって、ナニ……」
 真っ赤になっておろおろと手を振り回す彼女を、ジードはしげしげと眺めた。
(おもしれー)
 メルディがここまでの反応を見せるのなら、キールのうろたえぶりはもっと激しかったかもしれない。どうせなら出港の前にからかってみれば良かった。港でひとときの別れを惜しむ二人を見て思い当たることはあったのだが、突っ込むのも野暮かと思ったのだ。遠慮などするのではなかった。きっとさぞや面白いものが見られただろうに。
「だだだだって、メルディべつに……」
 まだ言い訳をひねりだそうとしている。
「こーら」
「いで!」
 背後から洗濯籠の一撃を食らって、ジードはその場にうずくまった。油断していたためまともに食らってしまい、頭がくらくらする。
「て、手加減しろ! しかも頭……」
「年寄りみたいなことやってるからよ」
 うっすらと涙まで浮かべて怒鳴る夫を、セレナはどこ吹く風といった調子でやり過ごして飄々と肩をすくめてみせた。頬を真っ赤に染めたままのメルディが、シャツを取り落としたことに今更ながら気づいてしゃがみこむ。洗濯籠を彼に押し付けて、セレナは窓枠に手をついた。
「メルディ、今ねえお菓子焼いてるの。今日の三時のお茶用に。持ってくから一緒に食べようねえ♪」
「……俺のぶんは」
 うずくまったままうらめしそうに見上げてくるジードの頭を楽しげにぐりぐりなでる。
「一個だけね」
「おい」
「あ、ほらほらいい匂いしてきた」
 気持ちよさそうに深呼吸するセレナにつられて、メルディも鼻をひくつかせた。確かに、甘い香りが鼻腔をくすぐる。薫り高いお茶と相性が良さそうだ。
「んん〜、ローズマリー入りのクッキー! ……ぅ」
「正解〜」
 笑ってメルディに目を向けたセレナは、彼女の様子がおかしいことに気づいて窓から身をのりだした。うつむいて、口許を押さえている。肩が、小刻みに震えている。
「メルディ? メルディ、どうしたの? 大丈夫!」
「……」
 メルディは洗濯物もそのままに、無言で首を振って勝手口に走り去った。
「それお願い!」
 一声叫んで戸口に向かったセレナの背中を見、それから隣家の干しかけの竿を見て、ジードはため息をついた。
「……はいはい。俺が全部やっとけばいいわけね……」








 戸口には鍵が掛かっていた。キールが留守なのだから当然か、と納得して庭側に回り、あけっぱなしの勝手口をくぐる。水音が聞こえて洗面所に入っていくと、案の定メルディが背中を丸めて顔を伏せていた。
「メルディ!」
 走りよって背中をさする。メルディは涙に濡れた目でセレナを見上げた。
「セ、セレナ……」
「気持ち悪いのね?」
「……ん。なんか急に……」
 言い知れぬ不安に襲われてしゃくりあげ始めるメルディの肩を、彼女は力づけるように優しく叩いた。
「立てる?」
「……なんとか……」
 よろよろと立ち上がった身体を支えてやりながら出掛けに引っつかんできた聴診器を着ける。下腹部をさすったり、聴診器を当てたりせわしなく動くセレナをメルディはぼんやり見下ろしていた。
「……なにか?」
「……やっぱり……」
 セレナがつぶやく。まさか病気かなにかだろうか、と不安の色をちらつかせるメルディに、彼女はにっこり笑ってみせた。
「安心して。病気とかじゃないから。まずは言わせてもらうわね。……おめでとう」
「ふぇ?」
「だから、おめでとう。赤ちゃんできたのよ」
 赤ちゃん。
「ここに」
「えっ……ええええぇっ!?」
 ぽん、とお腹に手を当てられて、メルディは裏返った叫び声をあげた。
「えっえ……だって」
「別に不思議なことじゃないでしょ?」
 そうだけど、ともごもごつぶやく。
「……ここにいるか?」
「そう。あなたと、キールの子供よ」
 重ねて言われる。メルディは頬を真っ赤に染めてへなへなとその場に座り込んだ。
 全身が熱くなる。騒ぎ出した心臓と腹をそれぞれ片手で押さえながら、心を静めてみようと大きく深呼吸を繰り返す。
「ここに、いるんだ……」
 大好きな人と自分の子供が。
「そうよ」
 優しく肩を抱かれて、メルディは思わず涙を零した。
 子を宿したのは記憶を失う前のことだろう。けれど、それこそが以前の自分と今の自分が間違いなく同一人物だという証に他ならない。理屈ではわかっていても違和感に悲鳴をあげていた心は、キールと子供、二人の手で癒されたのだ。安堵と喜びが重なって、彼女はしばらく声もなくむせび泣いた。












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