偶然と必然(9) 「メルディ!? メルディ!!」 「やああ! いや!! いやっ!」 喉が割れそうな叫び声をあげて身をよじるメルディを、セレナは必死で抱きかかえた。悲痛な声に、近所の住民がちらほらと顔を出し始める。クィッキーが警戒するように高い鳴き声を上げて走り回る。 「お、おい……」 メルディを家の中に入れようと言おうとしたジードは、そちらの方向を見て一瞬目を疑った。 なにか黒い霧のようなものが発生している。少しずつうごめくその進路は間違いなくメルディに向かっていて。 セレスティアンはもともとネレイドの民。頭ではわからずとも本能が危険を告げた。 「おいっ! おい、メルディしっかりしろ! 周りを見ろ!」 ジードの声につられて、セレナはあたりを見回した。 黒い、何か。 「な……なにこれ!?」 彼女の悲鳴にメルディがはっと顔を上げる。 「……ネレイド」 え、なに? とセレナが見下ろしてくるが、答える余裕はない。メルディは唇を噛みしめた。 心の中の黒い染みを目指して、その染みを広げようとにじりよってくる意思。 のっとられたら終わりだ。 キールのいない世界なんて。 滅びてしまえ。 滅びてしまえ――――…… 「ダメぇっ!!」 頭の中に囁きかける声。 同意してはいけない。 屈服してはならない。 メルディは必死で首を振った。 この身には、新しい命が宿っているのだ。 黒く塗りつぶされそうな心の中、一点だけ灯った光。 同じ思いをさせるわけにはいかない。 「お、お願い……」 声を絞り出して、セレナの腕を強くつかむ。 「ここか、ら……遠くへ……少し、でも、遠く……!」 息も絶え絶えな懇願に、得体の知れない恐怖感に襲われながらも二人は気丈にうなずいた。ジードがメルディを抱えあげる。セレナの肩に、クィッキーが跳び乗る。 「とりあえず……こっち!」 セレナの先導する声にしたがって、ジードはひた走った。息があがってこれ以上は無理だと思った頃には、すでに町からずいぶん離れていた。黒い霧はない。彼は柔らかい草地の上に華奢な身体をそっと下ろした。セレナがそばにしゃがみこむ。 メルディは汗をびっしょりかいて荒い息を繰り返している。 「霧、は……?」 「ないわ。ここまでは追いついてこられなかったみたい」 そう言って額にはりついた髪を払ってやると、彼女はまだ不安げなまなざしを向けてきた。 「……メル、ディが目の色、は? 目の色は、どうなって、る?」 「どうって……紫色だけど」 いつもどおり。 質問の意図がわからず戸惑いを含んだセレナの声に、メルディは今度こそ安心したようにうっすら笑った。 「そ、う……よかっ、た」 やっとのことでその一言を吐き出し、淡紫の頭はくたりと力を失った。 なんだか頭がぼんやりする。こんな感覚、前にもあった。 いつだったろう? いつだったろう…… うまく働かない脳を酷使して考える。 身体に叩きつけているはずの雨の音はない。妙に静かな空間。 気を失う前に聞いた声は。あの歌は。 “私が手を出すべきではないのかもしれないけれど” 凛とした、強い意志を感じさせる声。 “そもそも晶霊の乱れが引き起こしたことだから” 水晶の砕けるような。 “あなたたちのしてくれたことを思えば、これくらいは許されるわよね?” 「セル……シウス……?」 朦朧とした意識の中つぶやくと、小鳥のさえずりのような少女の笑い声が耳朶を震わせた。 |